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2020年02月24日15:17

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【旅行】 沖縄那覇きまぐれ散策

2月22日(土)〜23日(日)、沖縄の那覇に行ってきた。

47都道府県のうち、この歳まで唯一行ったことがなかったのが沖縄県であった。そこで2月の3連休を利用して、出かけることにした。沖縄県は沖縄本島をはじめ多くの島があるが、今回は欲張らず、那覇市に限定した1泊旅行とした。往復の航空機とホテルだけは確保したが、あとは事前の下調べもなしの、全くの無計画である。きまぐれな那覇市内散策だ。ただし、ゆいレールに乗ることだけは外せない。

●22日(土)

羽田空港は朝から人出が多い。さすが連休初日である。羽田8:35 発のANA467便にて那覇に向けて出発。時刻表では11:30 着となっているが、実質の飛行時間は2時間37分である。(と機長から説明があった。)

那覇空港に着いたら、やはり暖かい。東京の最高気温が那覇の最低気温である。日中は20℃を軽く超えるらしい。分かってはいたが、上着が早速邪魔になる。

とりあえず、ゆいレールの駅に向かう。ここで、2日乗車券を購入する。これは今日と明日使える乗車券ではない。今から48時間、翌々日の同時刻まで使えるのだ。1日券だと明日の午前中までになってしまうので、2日券としたが、それでも1,400 円で、かなりお得である。早速、てだこ浦西行きに乗車する。2両編成のモノレールは結構混雑していた。まずは終点まで行ってみることにする。それからは、いろいろな駅に降りながら、那覇市内散策としたい。那覇は沖縄一の大都市で、車窓風景は本土の他の都市と変わらないようにも見えるが、どことなく違うような雰囲気もあるなと感じつつ、ひたすらゆいレールで進む。都心部を過ぎると、だんだんと車内の客も減ってきた。かなりの勾配を登る区間もあり、首里駅のあたりでは首里城も見える。石嶺を過ぎて浦添市内に入ると、風景も変わってきた。首里から先は昨年10月に開通したばかりである。終点の少し手前にトンネルがあるとは知らなかった。

終点のてだこ浦西で下車。那覇空港から約40分である。「てだこ」とは、太陽(てだ)の子という意味である。昔浦添が琉球王国の中心であった時に、その王の父が太陽であったといわれていたのである。だから駅前もそれなりに立派なものがあるだろうと予想していたら、何もなかった。駅前の道路も整備中である。駅前を歩くも見るものもなく、ゆいレールで引き返す。

やはり、ここに行かなくてはなるまいと首里に向かう。首里駅で下車し、まずは昼食とする。首里駅前はいろいろあるが、赤道ラーメンという店でラーメンを食べる。このあと首里城で向かう。道路沿いに行くと分かりやすいが、なぜか城壁に沿って歩く階段の多いルートを選択してしまい、久慶門の前に出る。ここから入ることも出来るが、まずは守礼門からだろうと思い、一旦守礼門を出て、もう一度守礼門から入るという変なルートになった。守礼門は日本の城でいえば大手門にあたる。さらに歓会門を通って正殿の方へ向かう。この正殿を含む一帯が、昨年火災で焼失したことは、かなり衝撃的なニュースであった。もちろん、中に入ることは出来ないが、近くまで行くことは出来る。その無残な姿を目の当たりにして言葉を失うが、再建は進められており、いずれ美しい正殿が蘇ることだろう。その正殿の前の御庭(うなー)では、沖縄伝統舞踊のステージがちょうどあったので、少し見ていく。沖縄出身でもないのに、昔から、三線の響きと沖縄音階の音楽は、なぜかすっと入ってくるのである。首里杜館(すいむいかん)はレストランと売店がある建物だが、この中で正殿再建支援の募金を受け付けており、わずかではあるが寄附をした。

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(首里城 久慶門)

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(首里城 守礼門)

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(首里城 歓会門)

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(焼失した正殿など)

首里駅に向かい、ゆいレールに乗車。今度はおもろまち駅で下車した。「おもろ」といえば「おもろそうし」、沖縄の古歌である。「おもろ」とは「思い」という意味らしい。そんな古琉球の面影を感じる場所かと思ったら、このあたりは那覇新都心であり、東京と変わらない近代的な都市風景なのであった。駅から少し行くと「那覇メイン・プレイス」という、ここがメイン・プレイスだという名前もすごい大型ショッピングセンターがあり、「おもろ」なイメージとはだいぶ違う。那覇はやはり、日本の大都市の一つなのだと実感する。

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(ゆいレール)

おもろまちから再びゆいレールに乗って、牧志に向かう。国際通りに出るのに最寄りの駅である。国際通りは、那覇一の繁華街である。この通りは非常に賑わっている。沖縄の伝統の店のみならず、ステーキ屋が多いのは、アメリカ統治時代の名残か。那覇で飲んだら「シメはステーキ」ということらしい。琉球王国は明や台湾や朝鮮との貿易も盛んだったこともあるので、その手の料理店もあり、文字通りの国際通りである。ここは歩いているだけで楽しい。シーサーの立派な置物からシーサーをかたどった小物まで、シーサー関連の品が多いのは当然だが、中には怪しげな商品もあったりして、それも面白い。何かを食べるほどお腹は減っていないので、いくつか土産物を覗きつつ、見栄橋駅に出る。

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(国際通り)

見栄橋からゆいレールに乗車。今度は、赤嶺駅で降りてみる。赤嶺は日本最南端の駅である。沖縄にゆいレールが出来る前は、鹿児島県の西大山駅がそうだったが、それより遥か南に駅が出来て、赤嶺が日本最南端の駅となった。駅前にはそれを示す碑も建っている。

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(日本最南端の駅 赤嶺)

つづいて隣りの小禄に移動する。小禄駅前にはAEONがあり、本土の近郊都市駅前と変わらない雰囲気だが、中の書店には沖縄関連本のコーナーがあり、本土の書店では見かけない本が並んでいる。面白そうな本があり1冊購入した。

小禄の隣りの駅が奥武山公園駅だ。ここは野球場がすぐ近くにあり、プロ野球のキャンプが行われており、明日はその球場でオープン戦があるらしい。この時期の沖縄は、プロ野球のキャンプの時期だということを、沖縄に来るまで全く忘れていた。ゆいレールもオープン戦に備えて臨時ダイヤとなっている。そういえば、野球目的で来たと思われる人を、ゆいレール内でも見かけた。奥武山公園でおりたのは野球とは全く関係なく、今日のホテルの最寄駅だからだ。歩いて10分ほどで着いて、荷物を置いて再び外に出る。

奥武山公園から県庁前まで乗車する。県庁前も、国際通りに行くための最寄駅の一つだ。先ほどは見栄橋でゆいレールに乗ってしまったので、昼間歩かなかった部分を夜楽しむのである。国際通りは夜も楽しい。飲み屋はいくらでもあるが、適当に目についた「あんとん」という店に入ると、ちょうど島唄ライブをやっているところで、三線に合わせた島唄を生でじかに聴きながら、オリオンビールを飲みつつ(日頃ビールは控えているが、たまにはいいだろう)、ラフテーやアーサ出巻卵を突きつつ、楽しく過ごす。沖縄の歌は、やはりいいね。三線という楽器も、もしかしたらどの家にもあるのではないかと思うくらい、沖縄とは切っても切れないもののようだ。沖縄の人しか知らないような歌だけではなく、「涙そうそう」や「ハイサイおじさん」など、本土でもヒットした歌も含めて、楽しいライブであった。

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(国際通りの「あんとん」)

県庁前からゆいレールで奥武山公園に戻り、ホテルに戻ってくつろぐ。


●23日(日)

朝起きると、外はまだ薄明りだ。時計を見ておや?と思うが、ここは東京からずっと西にある那覇だ。日の出の時刻も遅いのである。ホテルの朝食はなしにしてあるので、早々にチェックアウトする。

奥武山公園駅までまっすぐ戻るのも面白くないので、近くの干潟に行って、ゆいレールの隣りの駅の壺川まで歩いていくことにする。朝の散歩だ。この干潟は漫湖というが、正確には湖ではなく国場川下流部、饒波川との合流部に位置する干潟である。シギやチドリ等の渡り鳥の中継地となっており、ラムサール条約登録湿地となっている。とよみ大橋を渡っていくと、湿地帯となっているあたりが見える。残念ながら鳥の姿は見えないが、なかなかいい眺めである。説明看板によれば、シギ、チドリの他、サギ類やカモ類も姿を見せるそうだ。サギにカモまで来るのか。とよみ大橋を渡ると那覇市を抜けて豊見城市になり、昨日の浦添市とともに、那覇市外にも少しだけ足を踏み入れたことになる。ここから爬龍橋を渡ると漫湖公園である。那覇市民の憩いの場となっている。蛇足ながら、本土でこの干潟や公園の話をする時は固有名詞を避けることになっている。理由は自明である。本土から沖縄に移り住んだある女性が、この名前を変えるよう運動していたという話も聞いたことがあるが...

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(漫湖の湿地帯)

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(爬龍橋から漫湖を眺める)

しばらく歩くと壺川駅だ。ここからゆいレールに乗車する。昨日買った2日券は、昨日のうちに元を取ったが、まだ使える。48時間使えて1,400円とは安すぎる。壷川から隣りの旭橋までゆいレールに乗る。まだ朝食を取っていないので、那覇バスターミナルの最寄駅である旭橋には何かあるだろうと思ったのである。しかし、バスターミナル内にあるのはファミリーマートだけだった。ただし、イートイン・スペースが広く、バス待合室とも境目なくつながっている。すなわち、ファミマで買って食べて下さいというシステムのようだ。ここでサンドイッチを買って、待合室で食す。ここなら持ち帰りなので、消費税8%だが、ほとんどイートイン・スペースと変わらないのである。ここからバスでどこかへ行くということも頭に浮かぶが、やはりゆいレール沿線をとことん極めることで、続けることにする。

旭橋からどこに行こうか迷うが、まだ降りていない駅に行ってみよう。終点の一つ手前の浦添前田で降りてみる。終点以上に何もない駅前で、やはり道路も整備中だ。駅前を少し歩いただけで戻って、隣りの経塚で降りてみる。ここには玉城朝薫の墓があるという。案内に沿って行ってみると、たしかにあった。玉城朝薫は琉球王国にて組踊という琉球歌舞伎を創始した人である。能や狂言に似ているが、琉球音楽、琉球舞踊、それに琉球の首里方言を用いるのが特徴であるという。現代も受け継がれている琉球の伝統芸能だ。ゆいレールの駅にふらりと降りてみるということをしなければ、玉城朝薫については知ることもなかっただろう。本土からの観光客は経塚駅に降りることはないだろうが、こういう発見も楽しみなのである。

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(玉城朝薫の墓)

経塚から隣りの石嶺駅まで行く。石嶺はやはり那覇市内、浦添市内の3駅と違って、駅前が何もないということはない。というより、駅より前に住宅や商店があったのだ。ただし駅前バスターミナルは整備中であった。もともと鉄道のなかった沖縄は、駅前バスターミナルという発想がなかったのだ。駅が出来たことによって、駅前バスターミナルという新しいものを作る必要が出てきたという訳だ。

再びゆいレール。首里は昨日降りたので、その一つ先の儀保で降りてみる。この駅の近くに末吉公園というのがあるようなので、行ってみる。「シェアリング・ネイチャー」というのがこの公園のテーマであり、自然と一体にということらしい。少し歩くと森の中に入っていくが、すぐに広場に出る。さらに登っていくと、玉城朝薫生誕三百年記念碑があった。かなり立派な碑だ。玉城朝薫は「劇聖」と呼ばれ、このあたりでは尊敬されている偉人であることが分かる。(つい先ほどまで、朝薫については何も知らなかったのに。)

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(劇聖玉城朝薫生誕三百年記念碑)

末吉公園を抜けると、市立病院前駅に出た。ゆいレール1駅分を公園の中を歩いたことになる。市立病院前から古島まで乗車する。古島駅前にはアクロスプラザというショッピングモールがあるが、一部の店しか営業していず、半分くらいがComing Soonの文字。ゆいレールの沿線には、こういうのが多いのだろうか。ゆいレールが出来たことで、駅周辺が新たに発展していくようなところもあるのだろう。

ここまで来て、ゆいレールで降りていない駅は安里だけになった。それなら、最後に安里駅に行くしかない。安里といえば「安里屋ユンタ」を思い出すが、それは竹富島に伝わる古謡だ。ここの安里とは直接関係ないらしい。栄町市場に近く、那覇市有数の歓楽街ということである。駅を下りると、山羊料理の店が数件並んでいるのが目に付く。もう正午をだいぶ過ぎているので、このあたりで昼食をと思い、山羊料理はいかなるものか興味があったが、店はなぜかみんな閉まっていたので、結局国際通りの方に出てしまう。少しあるくと牧志駅だ。ゆいレールは大きくカーブしているが、歩くとそんなに遠くない。牧志駅前には大きなシーサーがある。「さいおんうふシーサー」というらしい。そういえば、どこの家や商店にもといってもいいくらい、1対のシーサーが門の上などにいるのに気付いていた。まさにシーサーは沖縄の守り神なのである。

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(さいおんうふシーサー)

国際通りに入ると、ステーキ店が多いことは昨日も気付いたが、朝からコンビニのサンドイッチしか食べていないので、ガッツリと食べようと、いかにもアメリカな店に入る。RAWHIDEという名前の店である。ランチメニューがあったのでそのうちの一つを注文する。ステーキとBBQチキンとあぐー豚のハンバーグに、目玉焼きとフライドポテトが付く。来てみてびっくり、かなり量が多いが、しかもその割に値段はリーズナブルである。

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(国際通りのRAWHIDE)

そのまま国際通りを県庁前まで歩く。昨日の夜来たあたりも、昼間は昼間で活気がある。国際通りは歩いているだけでも楽しめる場所である。日曜日の午後は、車も通らない歩行者専用道である。ゆいレールの各駅を中心とした那覇市内巡りは、全駅制覇して一段落だが、まだ時間はたっぷりある。そこで、おもろまちにもう一回行ってみることにした。昨日、ふと博物館・美術館という文字を見かけたのだ。昨日は「おもろ」とは縁遠い近代的都市風景と思ったが、博物館では感じることが出来るではないか。

那覇メイン・プレイスの裏手に、沖縄県立博物館・美術館がある。外に沖縄の民家や高倉を模したものがある。中に入ると、入場券は、博物館常設展示、博物館企画展示、美術館と別々になっており、見たいものだけ買えばいい。博物館の常設と企画の入場券を買う。中は、貝塚時代から琉球王国、薩摩の支配、王国の衰亡、戦争、アメリカ統治時代、そして今から未来へと、時代の順を追って見ることが出来る。琉球王国に絡む展示がやはり面白く、日本の本土(ヤマト)とはまた違った文化や伝統が、沖縄の中に根付いているのである。企画展は「手わざ」である。多くの失われた伝統を再現しようという試みがなされている。いわば模造品の製作だが、実物と寸分違わず再現するために、多大な努力をしているのだという。ここにも琉球の文化や伝統を後世に伝えたいという強い思いがあるのだろう。三線が置いてあって、ご自由に触って下さいとあるので、弾いてみた。弦をはじけば音は出る。でも、適当に弾いても音楽にはならない。沖縄音楽の記譜法「工工四(くんくんしー)」が分からないと弾けないね。

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(県立博物館の屋外展示−民家)

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(県立博物館の屋外展示−高倉)

そろそろ夕方になってきたので、おもろまちを後にして、那覇空港に向かう。2日間ゆいレールと自分の足だけを移動手段として、那覇の町を堪能した。初めての沖縄ということもあり、那覇市(一部浦添市と豊見城市)だけに絞ったが、今後は本島の北部や他の島にも行きたいと思う。いつになるか分からないが。

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(ゆいレール那覇空港駅)

那覇空港からは、18:25 発のANA474便で羽田に帰った。帰りの方が少し飛行時間が短い。羽田に着いたら寒い。まだ2月であることをすっかり忘れていた。慌てて、しまっていた上着を出して羽織る。那覇では半袖シャツで歩いていた人も結構いた。東京の初夏のような気候だったのだ。日本列島は広い。
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