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2020年08月22日22:25

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【艦これ】進水日ダイアリー2020【8/22】

キツかった1週間が終わった本日8/22はドイツ重巡プリンツ・オイゲンとイタリア戦艦リットリオの進水日。
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誕生日おめでとう、オイゲン、リットリオ。
明日から7連勤だけどなー(白目

史実のプリンツ・オイゲンをざっくりと。
ドイツ海軍アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦でクルップ・ゲルマーニア造船所の生まれ。
ドイツ海軍の主要な作戦に参加して武勲を積み重ねながら、終戦まで浮揚・戦闘可能状態で生き延びた強運の巡洋艦で在る。
戦艦ビスマルクと共にライン演習作戦に参加し、イギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズに命中弾を与える等、ビスマルクを援護しイギリス戦艦フッド撃沈に貢献。
シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦6隻と共にツェルベルス作戦に参加。
これはフランスのブレスト港から白昼堂々ドーバー海峡を強行突破しドイツ本国へ帰還するという、なんとも大胆不敵な作戦で在ったが、ドイツ艦艇に一隻の撃沈も無く、全ての艦が海峡の突破に成功した。
イギリス潜水艦トライデントによる魚雷攻撃を受け数か月修理に費やしたり、キールへの航海中イギリスの爆撃機19機と雷撃機27機による空襲を受けたが無傷で済んだり、バルト海で士官候補生の訓練に使用されたり、ティーレ任務部隊に編入され陸軍を支援したり、ゴーグラント島攻略作戦を支援したり、フィンランドから脱出するドイツ軍を運ぶ船団を護衛したりした。
そしてドイツ海軍最後の作戦「ハンニバル作戦」に参加、ソ連軍に包囲され陸の孤島となった東プロイセンに取り残された200万を越すドイツ軍民の救出の為に艦砲射撃による長距離砲撃で迫りくるソ連軍を足止めし、救出・撤退を支援した。
救出作戦としては史上最大規模の作戦で、約240万人の軍民の救出に大いに貢献したので在る。
そしてドイツは降伏し終戦、イギリス海軍に引き渡された。
その後、アメリカ海軍に接収・編入され、ビキニ環礁での原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦となった。
2度の爆発にも耐えたが、調査のためクェゼリン環礁へと曳航する途中進水が激しく、礁内の浅瀬に乗り上げて沈没を防ごうとしたのだが、結局その翌日転覆沈没してしまった。
後にスクリューのみドイツに返還されている。

起工 1936年4月23日
進水 1938年8月22日
就役 1940年8月1日
最期 1946年12月に座礁

史実のリットリオをざっくりと。
イタリア海軍ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の2番艦でアンサルド造船所の生まれ。
いかにもイタリアらしいモダンで軽快なスタイルの戦艦で在る。
フランス艦隊を仮想敵として想定していたイタリア海軍であったが、フランスが早期に降伏した結果、大戦中はイギリス地中海艦隊が主敵となった。
マルタ島への輸送をしているイギリス海軍を叩く艦隊の旗艦として初陣を飾るも、戦闘は発生せず。
その後も艦隊の旗艦として出撃機会があったものの、いずれも海戦は生起しなかった。
タラント空襲で損害を受け、修理に数か月を要した。
第1次シルテ湾海戦、第2次シルテ湾海戦、ヴィガラス船団攻撃等に参加。
ムッソリーニが失脚し、パドリオ政権が誕生してから5日後に、イタリアへと改名される。
イタリアと連合国との休戦が成立すると、翌日イタリア艦隊は連合国に降伏。
マルタへ向かったがその途中でフリッツXを搭載したドイツ軍Do 217の攻撃を受け、右舷側に被弾。
その後、戦争の終わりまでエジプトのグレートビター湖に留まる。
第2次世界大戦後、アメリカ合衆国への賠償艦として割り当てられたが、ラ・スペツィアにおいてスクラップとして解体された。

起工 1934年10月28日
進水 1937年8月22日
就役 1940年5月6日
除籍 1948年6月1日
解体 1948年

艦これでのプリンツ・オイゲン。
運の初期値が高く、改に成れば更に上がり何と40。
まるゆ消費無しで魚雷カットインが視野に入れられる唯一の重巡とも言える。
その分、妙高・羽黒等より若干性能が低い。
超有能電探FuMO25の為か、入手手段が非常に少ないのが難点か。
Feuer可愛い。

艦これでのリットリオ。
燃費は悪いが火力の高い高速戦艦。
イベント海域では高速縛りが多い為、利便性は高い。
癖の強いイタリア勢を纏める朗らかお姉さん。
水着(ローマ)
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サンタ
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