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2020年01月29日23:08

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【艦これ】進水日ダイアリー2020【1/27&29】

星周りが悪かったのか色々不遇だった去る1/27は戦艦日向の進水日でした。
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誕生日おめでとう、日向。

史実での日向をざっくりと。
伊勢型(改扶桑型)戦艦2番艦で長崎の三菱合資会社三菱造船所生まれ。
生涯で「砲塔爆発2回、弾薬庫火災1回」という即轟沈レベルの事故を3回も起こす、世界でも類を見ない「航空戦艦」への改装、直接指揮下の艦艇には一隻も喪失がない、生涯で着底を2度も経験する、といった不思議な経歴の持ち主である。
竣工後、第1艦隊第1戦隊に配備。
満州国康徳帝(愛新覚羅溥儀)訪日の際の座乗艦としても使用された。
太平洋戦争開戦時は、姉妹艦伊勢と共に第1艦隊第2戦隊にあり、その戦隊旗艦を務めた。
しかし、戦艦の前線への投入に消極的な軍本部の方針により、戦果を挙げる機会は与えられずにいた。
先述した砲塔爆破事故とミッドウェーでの敗戦が重なり、航空戦艦に改装される。
捷一号作戦に参加してレイテ沖へ出動、小沢本隊の前衛部隊としてアメリカ艦隊との砲戦を試みるべく南下するも会敵機会に恵まれず、本隊と再合流。
エンガノ岬沖海戦で空母4隻を失い敗走、デュポーズ隊の追撃を受けるが、松田少将発案の航空攻撃回避術と艦長の巧みな回避運動、更に航空戦艦に改装された際に大幅に増強された対空火力の効果、駆逐艦初月の命がけの奮闘も在って生還している。
カタパルトを撤去、更に機銃を一部撤去して現地部隊に引き渡し、石油・ゴム・錫などの希少な戦略物資を航空機格納庫のスペースを生かして満載し戦略物資輸送作戦「北号作戦」を実施、ここでも強運を発揮し、全艦損害無く日本に戻るという奇跡的な成功を収めたが、物資総量は伊勢や軽巡洋艦大淀が輸送した分を含めても、中型貨物船1隻分に過ぎなかったという。
北号作戦の後、残っていた燃料を大和に譲ってしまった為、目立った損傷も無いのに行動不能に。
呉にて、伊勢、金剛型戦艦唯一の生き残りの榛名らと共に浮砲台として防空任務に当たっていたが、呉空襲で遂に大破着底、終戦を迎えている。

起工 1915年5月6日
進水 1917年1月27日
就役 1918年4月30日
1945年7月24日 呉軍港空襲により大破着底
除籍 1945年11月20日
終戦後に解体

詳しい事はwikiでも読みやがれ。

艦これ内の日向
LV10で航空戦艦に改造可能。
正しい瑞雲力(ずいうんちから)に目覚めた瑞雲マスターとして、その布教に余念が無い。
主な犠牲者は海外艦達の模様。
日向改(航空戦艦)
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瑞雲祭り
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日向改2
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そして本日1/29は海防艦択捉の進水日。
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誕生日おめでとう、択捉。

史実の択捉をざっくりと。
択捉型海防艦の1番艦(海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の5番艦)で大阪鉄工所桜島工場の生まれ。
竣工後、 本籍を佐世保鎮守府に、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められた後に南西方面艦隊麾下の第1海上護衛隊に編入され、同隊北支隊に配属、主として内地-台湾間の護衛に従事した。
新編された海上護衛総司令部麾下となり、南西方面航路の護衛に従事することになった。
大鷹型空母神鷹、海防艦占守等と「ヒ57船団」に加わりシンガポールへ、 折り返しの「ヒ58船団」に所属し無事帰還。
続けて「ヒ71船団」に加わり南方へ向かう。
アメリカ潜水艦ラッシャーの雷撃により空母大鷹が沈没、大混乱に陥った船団は次々に襲撃され運送艦帝亜丸、速吸、帝洋丸、玉津丸が沈む。
遭難現場に留まって対潜掃蕩をおこなう第3掃蕩小隊僚艦3隻(佐渡、松輪、日振)と分離しマニラに到着、「マモ02船団」に加入し内地に帰投した。
第3掃蕩小隊はアメリカ潜水艦ハーダー、ハッドに攻撃され撃沈されてしまう。
今度は「ヒ81船団」に加わりフィリピンへ。
東シナ海でアメリカ潜水艦クィーンフィッシュの襲撃を受け陸軍特殊船あきつ丸が、アメリカ潜水艦ピクーダの攻撃で陸軍特殊船摩耶山丸が、アメリカ潜水艦スペードフィッシュの攻撃で空母神鷹が沈没。
陸海軍将兵合計6000名以上が戦死する結果となった。
シンガポールで「ヒ82船団」に参加し、カムランで駆逐艦潮を加える。
ベトナム沿岸を北上中アメリカ潜水艦フラッシャーに発見され、犠牲を出しながらも何とか作戦を終了した。
その後、舞鶴、大湊、千島方面の護衛に従事。
大湊警備府第104戦隊に編入され、北海道、千島方面の護衛に従事、稚内で終戦を迎える。
復員船として活動した後に賠償艦としてアメリカ軍へ引き渡されたが、アメリカ軍では戦時中の大量建造により、より高性能な自国の護衛駆逐艦の一部が余剰となっていた為すぐに売却され解体処分された。

起工 1942年3月23日
進水 1943年1月29日
竣工 1943年5月15日
除籍 1945年10月5日(大日本帝国海軍)
1947年8月5日(復員庁)
最後 1947年10月13日解体終了

詳しくはwikiでも読んどくれ。

艦これでの択捉。
驚異の初期対潜値35という対潜のエキスパート。
まるゆもかくやとばかりに幼い容姿に加えて真面目でハキハキとした健気な言動で実に小動物感が溢れる。
気弱な松輪の良いお姉ちゃん。
三越
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節分
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梅雨
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浴衣
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秋刀魚
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エトロフチャン、アッアッ…

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