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2020年01月20日22:43

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【艦これ】進水日ダイアリー2020【1/20】

暖冬といっても寒い物は寒い本日1/20はアメリカ駆逐艦サミュエル・B・ロバーツの進水日。
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誕生日おめでとう、サム。

史実のサミュエル・B・ロバーツをざっくりと。
ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦の1隻で、テキサス州ヒューストンのブラウン・シップビルディング社の生まれ。
「ブリキ艦」と称されるほど貧弱な艦でありながら「戦艦の如く戦った護衛駆逐艦」と称される、アメリカ海軍きっての武勲艦で在る。
就役後はパナマ運河を経て真珠湾でチェスター・ニミッツ大将麾下のアメリカ海軍太平洋艦隊に合流、同地での訓練の後、マヌス島で第77.4.3任務群(通称「タフィ3」)に編入され、レイテ湾海域に向けて出撃。
第77.4.3任務群はレイテ島の戦いの支援を行う動く航空基地として作戦行動を行っていたが、西村艦隊の壊滅と志摩艦隊の撤退が報告された為、警戒体制を解き通常配置へ移行した。
しかし、その僅か11分後、居る筈の無い大艦隊と遭遇、総員戦闘配置が発せられた。
帝国が捷号決戦に際し、国家の威信を賭けて投入した主力の中の主力、かの大戦艦大和
を筆頭とし、第1戦隊・第3戦隊・第5戦隊・第7戦隊・第10戦隊・2水戦の総勢23隻からなる第1遊撃部隊「栗田艦隊」で在る。
後にアメリカ海軍史において伝説となる、タフィ3とサミュエル・B・ロバーツの戦いが、ここに始まった。
大混乱の中、艦長ロバート・W・コープランド少佐の「我々は水雷突撃を敢行する。結果はどうなるかわからない、だが義務を果たそう」の艦内放送の後、目標を重巡洋艦鳥海と思しき巡洋艦に定め反転、突撃を開始。
設計上の最高速度(24ノット)を大きく上回る28.7ノット を叩き出し、20.3陀っ討鯀澆だり鳥海に肉薄、3本しかない魚雷を全て発射、次いで5inch単装砲と機関砲を総動員し、帝国海軍でも屈指の武勲艦相手に壮絶な殴り合いを演じたのだ。
後部砲塔は破壊されながらも狙いを重巡筑摩に移し、艦上構造物めがけ5inch砲と機関砲を猛射、筑摩の第三砲塔を破壊した。
そして、煙幕が切れた所を戦艦金剛に発見され、主砲の直撃を受ける。
全幅11メートル、喫水4メートルのジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦にとって、この損傷はまさし致命傷で在った。
砲弾が命中弾、あるいは至近弾として降り注ぐが、600発もの5inch砲弾と3本の魚雷全てを撃ち尽くし既に戦う力は残されていなかった。
総員退艦命令が発せられ、乗員脱出の最中にも砲弾は降り注いでいたが、艦長以下生存者120名の退艦が完遂されるまで、その船体は沈没せずに持ちこたえた。
総員退艦命令が発せられた30分後、軽巡矢矧率いる10戦隊の至近からの砲撃により遂にその生涯を終える。
艦首を真上に向け、海面に没するその瞬間まで屈する事は無かったので在る。

のであるが、実は同海戦が早朝の海域特有の靄とタフィ3の護衛駆逐艦自身が展開した大量の煙幕の影響で乱戦状態だった事もあり、サミュエル・B・ロバーツが最初に交戦した相手が鳥海であったかどうかは実は不明である。
色々な状況証拠を突き合わせていくと、重巡利根或いは羽黒が有力と言われている。


起工 : 1943年12月6日
進水 : 1944年1月20日
就役 : 1944年4月28日
沈没 : 1944年10月25日に戦没(レイテ沖海戦)
除籍 : 1944年11月27日

詳しくはwikiでも読んどくれ。

艦これでのサミュエル・B・ロバーツ。
LV50の改で自動先制対潜を得るものの、ブリキ艦なので正直余り強くは無い。
そのうえ、珍しい「低速」駆逐艦である。
いつの間にやら迷子がちなガンビア・ベイな保護者ポジションに収まっているw
どうやら、はいていないらしい。

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