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2019年12月18日23:31

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【艦これ】進水日ダイアリー2019【12/18】

E6の輸送ゲージ割った本日12/19は駆逐艦春風の進水日。
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誕生日おめでとう、春風。

史実の春風をざっくりと。
神風型駆逐艦3番艦で舞鶴工作部の生まれ。
就役後は姉妹艦朝風、松風、旗風と第5駆逐隊を編成、大湊要港部に所属し、北方海域カムチャッカなどで、ソ連との漁業を巡るトラブルに備える警備艦として任務に当たった。
太平洋戦争緒戦期は比島攻略部隊に所属し、開戦劈頭のフィリピンの戦いのうちのアパリ攻略戦、リンガエン湾上陸、次いでマレー作戦のシンゴラ上陸作戦支援に参加した。
馬公および高雄で整備の後、蘭印作戦に参加。
バタビア沖海戦では巡洋艦2隻を協同撃沈した。
第1南遣艦隊に転属、ビルマ攻略作戦、続いてマレー、ジャワ島、セレベス島、それに遠くラバウルの各方面で護衛など各種任務に就いた。
その後、第5駆逐隊は解隊、呉海軍工廠での本修理の後、警備駆逐艦に指定され呉鎮守府部隊に編入、日本とパラオおよび台湾、フィリピン方面において船団護衛に従事した。
第1海上護衛隊に編入され、マタ30船団旗艦としてマニラを出港。
アメリカ潜水艦ソーフィッシュ、シャーク、スヌークの待ち伏せを受けて輸送船ほぼ全滅の大損害を受ける。
その後、シャークを撃沈し、今度はアメリカ潜水艦セイルフィッシュの雷撃を受けて艦尾を失い命からがら高雄港に入港した。
修理の為に澎湖島の馬公要港部へ向かう途中で12日間漂流したり、馬公で空襲されたりして何とか本土に戻るも、修理不可能の判定が下され第1護衛艦隊から除かれ第4予備艦となり終戦を迎えた。
終戦から十数年が経過し、復興を果たした日本に、再び軍艦の建造が認められる事になった。
戦後初めての自国生産による軍艦、生まれ変わった日本にとって、そして発足して間もない海上自衛隊にとって、極めて重要な意味を持つ事になる最初の護衛艦にその名は受け継がれた。

起工 1922年5月16日
進水 1922年12月18日
就役 1923年5月31日
除籍 1945年11月10日
最後 竹野港防波堤として使用もアイオン台風により破壊、1948年解体

詳しくはwikiでも読んどくれ。

艦これでの春風。
艦これ唯一のドリル艦。
おっとりのんびりの癒し担当。
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