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mixiユーザー(id:12644385)

2017年12月09日21:24

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論点がズレたら元も子もない…

子連れ議会 バッシングの背景
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4886303 
 
 まず、この議員の「主張」自体には賛否両論あっていいと思う。

→(マテマテ、私はこの議員の行為を称賛するつもりはない。むしろ軽蔑する。詳しくは続きを読んでほしい)。

 というのは、「男女平等」という価値観は時代の変化とともに変わっていくのだし、国や地域によって解釈のされ具合が違うのは当然のこと。もっとはっきり言えば、「男女平等」という概念には絶対的な解釈はない、ということ。「私の主張は正しくてあの人の主張は間違っている」というのはないと私は考える。しかし、我々は一つの社会の中で協力して生きていくためには、どうしても一つの解釈を採用しなければならない。みんなが勝手に自分の解釈のみを正当化しては、社会など構築できないから。だからこそ、同じ時代、同じ文化の中で生きる人たちが話し合い、意見をまとめあって一つの「解釈」を求めるのであろう。

 こう考えたとき、私が気になるのは以下の2点。
   峪笋子供のころは…」という意見。
    今と昔では解釈は変わっているかもしれないのに、自分の時代の解釈を捨てられないヒト。
  ◆崟床い任蓮漾澆箸いΔ里法日本はまだ遅れていて…」という意見。
    西欧と日本では環境が違う。違う文化圏では優劣などつけられないことがらに優劣をつけたがるカタ。

  はっきり言ってしまえば、大半のツブヤキがこの2点で引っかかってしまう。
 念のためにもう一度書くが、私も大半のツブヤキと同じ気持ちで、この議員のやり方は軽蔑に値するし、このコラムの主張も何となくピンボケのように感じている。

 話を元に戻そう。
 私が思うのは、まず「男女平等」という概念の受け止め方が、今の日本では絞られておらず、各々が「マイ・男女平等・解釈」というバラバラの前提で議論を交わしているような気がしてならない。これでは意見が食い違うのも当たり前のように思える。
 一番わかりやすいのが、「結果の平等」か、「機会の平等」か、という問いだ。この2つを選択肢に挙げた時点で、既にどちらを真の平等とみなすか意見が分かれると思う。
 例えば、国会議員の中の女性の占める割合が日本では少ないが西欧では多いことに関して、
   →結果の平等:「男女平等ならば、議員の男女比も均等であるべきだ」
   →機会の平等:「選挙の立候補においても投票の際も、男女平等に扱われている」

 という解釈の違いが生じている。
  どちらが正しいと思うかは人それぞれであろうが、お互いの解釈の違いに気が付かずこの二つに激論を演じても無駄であろう。
 このコラムにも、最初から解釈の違いがあふれ出ているのが分かると思う。それを妥当と受け止めるか、否と論じるかは読者次第ではあるが、少なくとも全市民を対象とした新聞でのコラムならばもうすこし客観的な立場から論じるべきであろうと私は思う。

 長くなってしまった。
 以上が私の考える「平等」であるが、私がフンガイしているのは上記のことではない。
 

…と書こうとしたが、既に書く気力が尽きるほど書いてしまった。あぁ、疲れた。もう少ししたら書こうっと。

 
    
 
 

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