なんとも言い様がない
引用
今年の2月にも、小さな戦闘が起こり、避難した子どもたちへ、ビニールシートをとどけ、炊き出しをした。幸い数週間で帰ることが出来たが、この14年で、何度避難民救済をしたことか!!!
2008年の80万の避難民の時には、湿原地帯の上を見ると、アメリカ製の無人偵察爆撃機が、ふわふわと飛び爆弾を落としていた。そのうち日本も軍隊を送り込んでくるのだろうか。集団的自衛権をたてまえに。
それにしても、反政府ゲリラと呼ばれている、ミンダナオのイスラム教徒のなかに、第二次大戦中に逃げた、たくさんの日系人がいることを、日本政府の人々は知っているのだろうか。日本人が、日本人の末裔を殺すことになることを!
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◆1970年代
1972年
日本は中国と国交回復した。(うん、いいことだ)
しかし日本政府は戦後補償だけはガンとして拒否した。(う〜ん、それは…)
戦後補償に代えて日本政府はODAを使って中国を援助した。(まあ、悪くはない)
ODAの仕事を請け負ったのは日本企業だ。(そ、そうなんだ・・・)
そのほかに現金援助もした。(はい)
その金で中国はすごい軍備を整えた(えっ!?)
1973年
パリ和平協定 米軍がベトナムから撤退した。(おお!)
1974年
中国軍がベトナム領パラセル諸島に侵攻、ベトナム海軍を破って占領した(げげっ!)
このとき、日本国内は日中友好一色で、この侵略行為は報道されなかった。(おお…)
1976年
ベトナム統一(北ベトナムによるパリ和平協定違反なんだよね)
◆1980年代
1987年
経済的苦境にあえぐベトナムを中国軍が攻撃、ベトナム領スプラトリー諸島を占領した。ベトナム側の戦死者70人。(なんということだ…)
◆1990年代
1991年
フィリピンの市民運動の圧力もあって、フィリピン政府は米比相互防衛協定を破棄すると通告した。(デモクラシーの力だね)
米空軍司令官は、フィリピンにとって唯一の脅威は中国であるが、当時の中国は水陸両用の攻撃をしかける能力を持たないため、脅威はささいなものに過ぎないと述べている。
サイミントン上院議員とフルブライト上院議員は、米比相互防衛条約の規定にもかかわらず、たとえフィリピンが攻撃されても、直接在比米軍が攻撃されないかぎり、米軍は応戦する必要はないと述べていた。(まあ、そんなもんだ)
米軍が完全撤退した。
1995年
フィリピン領ミスチーフ環礁を中国海軍が占領した。(う、うわっ、いきなりか!)
1998年
フィリピン政府は中国の攻勢に対して米軍の軍事力に期待、米比地位協定締結。米軍が再駐留し、海空軍基地の整備が始まる。(出て行けとか、戻って来いとか勝手なこと言ってるけど、独立した主権国家なればこそだよねえ…)
◆いま
フィリピンでは、ミンダナオ島の石油資源をめぐって、フィリピンに帰ってきた米軍が内戦に実力介入している。(ええっ?)
ミンダナオの独立を唱えるゲリラと合意した和平協定が風前の灯だ。(なんと…)
◆ふりかえって
中国がおかしなことさえしなければ、フィリピンの内戦は終わって平和になるはずだった。
その中国に経済援助して軍備拡張を支援したのは日本だった。
中国向けの経済援助を、日本の平和勢力は好意的に見ていた。
なぜなら、中国の侵略行為をメディアが全く報じなかったから。
いやあ、ほんとに難しい話だ。
だけど日中国交回復は間違っていないし、経済援助だって政策として間違っていなかった。
ベトナムが米軍を追い出したのも、フィリピンが軍事同盟を破棄したのも間違っていない。
間違っているのは、それを覇権主義に利用した中国だし、フィリピンの資源に目をつけた米国だ。
平和を求める市民の願いをこいつらは踏みつけにしてやがる。
平和を願う心が逆手に取られることもある。
だからといって平和主義が間違っているのか?
そんなはずはない。
私たちは正しい。
ただ、もう少し賢くならなくては足元をすくわれるってことだ。
個々の事例では平和主義が無力に見えることもある。
しかし、平和主義がアジア外交を動かし、紛争を防いだ事例もたくさんあるのだ。
ただ、なかには失敗もあるってことだ。
世界をリアルに見ること、油断しないこと、しかし理想主義を手放さないこと。
難しいけれど、あきらめちゃいけないと思う。
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