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2020年04月01日08:36

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■チクリ・キヨ・ミヤザワのバイク!

■チクリ・キヨ・ミヤザワのバイク!

サイクルスポーツ誌でテストライダーをやっていた頃、最も乗っていたバイクはチクリ・キヨ・ミヤザワの丹下ナンバー2で組んだフレームでした。宮沢清明さんがイタリアから帰国してすぐにお父さんと経営していた葛飾の店舗兼工房を訪ねた。

イタリアのフレーム作りの興味深い話ばかりで盛り上がった。夕方になってもキヨさんは熱いままだった。フレームのオーダーの話を切り出せなくて、夕飯を食べようということになって、近所のトンカツ屋さんで一緒に美味しい夕食を食べながらマトゥリータというフレームを1本注文しました。

イタリアでは名人マリオ・ロッシン氏のところとジャンニ・モッタで働いていました。溶接後の仕上げをパートタイマーで出来高制で引き受けていたそうです。ロッシンが溶接して、何人かの職人が仕上げを担当していたそうです。宮沢氏を中継して日本からのオーダーも増えたようです。

イタリアの工房への注文制作は、スミズーラと言い、納期が焼く右側より大幅に延びたり、日本のオーダーシステムとの考え方の違いから、寸法や角度などの変更が指定通りに行かないことが普通に起こりました。100年以上のロードレースの歴史の中で培われたイタリアンバイクのスケルトンのセオリーがあって、さらにフレームビルダーが長年作ってレース現場に供給して来たセオリー的な数値があって、それからはみ出した寸法のフレームを作らないのです。

マリオ・ロッシンの中には、ロードレースで走りやすいフォークオフセットやヘッドアングル、フロントセンター、リヤセンター、フレームサイズ、イタリアやヨーロッパの荒れた路面を百km二百kmと走るのに最適なフロントフォ−クと、ハンガー周辺の剛性といぅ、製図板の上で描くスケルトンではないと言うのだ。

路面に車輪で立ち上がるマスターピースとなるスケルトンが、各サイズにあって、体格を見て測定して、シートステー、チェーンステー、フロントフォークブレードなど、採用するテーパーチューブの太い部分か細い部分のどの部位を選ぶかで、ショック吸収性やフレームの剛性を調整すると言う。

宮沢さんは、そう言うイタリアのフレームビルダーのやり方を学んで来た、スケルトンも剛性も、なんでも注文に答えようとする日本のオーダーと違うことを、日本人客へ丁寧に説明して、ロッシンの形、ロッシンの想像したバイクの乗り味を尊重して、スケルトンをロッシンに任せるように説得してのオーダー確定に持っていったので、寸法が違うと言うようなトラブルを解消したそうです。

ラグはオリジナルカットのロングポイントのプレス製法のもので、キヨのフレームのマトゥリータにも採用されている。ロッシンではコロンブスのチューブが主流だったが、キヨさんは常磐の上をゴロゴロ転がして、丹下の表面仕上げを施した真っ直ぐなダブルバテッドチューブが好みだそうで、しなやかさを追求するときはマンガンモリブデン鋼の引き抜き加工チューブのコロンブスを部分的に採用していた。

日本のフレームは剛性が高すぎると言うキヨさんの作ったフレームは、フロントフォークのブレードが先曲がりになっていて、路面からのショック吸収を配慮したブレードの太さと、先曲がりのツーリングフレームを連想させるベンディングのものだった。ストレートフォークや400Rの曲りとは正反対の、ここの曲がりでショックを吸収するんだと言う意識の現れた製品だった。

フレームの直付け工作はトップチューブへのケーブルトンネル3カ所、ダウンチューブにカンパレバー台座、チェーンステーのアウターストッパー、ハンガー下のワイヤーリードくらいだ。エンドはカンパニョーロのショートロードエンドにした。

515mmの芯―トップのフレームサイズ以外はお任せとした。キヨさんに乗り味に関して言われたのは、イタリアではおっさんが両手放しで街を走れるような、直進安定性がセオリーなんだけど、どうすると言うものだった。それで行ってくださいとお願いした。

フロントフォークはオリジナルのフォーククラウンだった。フォークコラムはスパイラルバテッド、フォークブレードもコロンブスに変更されていた。ペイントもブルー系の塗り分けで、キヨさんのセンスに色もお任せした。ステムは真っ黒なアルマイト仕上げのチネリのR1レコードの110mmでKIYOのロゴが刻印されていた。スーパーレコードで組んで、チタン合金ボルトやシャフトを採用して7、4kgに仕上げた。

このキヨ・ミヤザワ号は本当に長く乗った。4万kmくらい走っている。ロードバイクのランドマークとなったモデルだ。ナンバー2なだけに0、9mmとか0、7mmのダブルバテッドのチューブのフレームの剛性は流石に高い。でも先曲がりのフロントフォークなどで前輪の路面との接地感がすごく、パープルラインや富士の演習場、須走登山道、スバルラインなどスーパーダウンヒルなど、どこでも安心して走れるロードレーサーだった。

半年後に丹下のナンバー1のチューブでも同じスケルトンで1本作ってもらい。フルメッキで仕上げてもらって、乗り味の違いを比較すると、ハンガー周辺の剛性感が低下したが、回転系のペダリングでも、踏み込むペダリングでも気持ちよく回せた。

ショック吸収性が気持ちよくて、長く乗るのならこっちがマッチするけど、高速巡航からスプリントの効くのはナンバー2の方だった。キヨさんの形や乗り味、センスをそのまま買ったと言う感じのオーダーだった。

フレームの剛性感もハブ軸を受け止めるとこのショック吸収性が入念に考えられていて、ペダリングで生まれるパワーをロスなく伝へ、しかも、クランクを踏み込む反力で脚へのダメージを与えない、ハンガー周辺の剛性も高すぎないことが配慮されている。

人間エンジンの特性を意識した設計や、直進安定性を重視したハンドリング特性の安心感が伝わってくる。空中にあるフレームが走るのではなく、地面に接地したタイヤや車輪を意識したフレームの設計思想が重要なんだと言う話しが印象的で、キヨさんの作るバイクはイタリアの名人の元で学んだエッセンスがプンプン薫る。いかにも走りそうなバイクに仕上がる。

ロッシンでもジャンニ・モッタでも、キヨが仕上げたやつが欲しいと地元選手にも、日本から来た客にも言われるほどの評判になっていた。必死でイタリア人職人と競争して働いて腕を磨いてきた日本人ビルダーならではの、シャープな仕上げが融合したのがキヨさんの作ったバイクだ。

キヨさんはイタリアの選手の地域に密着したクラブチームによる育成方法も学んでいて、自らグランスポルト・チクリ・キヨ・ミヤザワを作って選手強化したり、アマ車連の女子強化部長にも就任して強化活動に取り組んでいた。

日本でのシリアスレースの現場と言えば競輪だが、スチールフレームをNJSに登録して、選手が登録ブランドから選んで乗っているわけだ。キヨさんのピストバイクはトップ選手に高く評価されていて、選手でも半年待ち、1年近く順番待ちということもあるという人気ブランドになっている。

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