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2019年10月16日09:44

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人生意気に感ず「大震災津波被害。大川小勝訴判決。船越小にも注目すべき。八ツ場満水まであと3mとは驚き」

◇大川小訴訟勝訴の意義は深く大きい。最高裁は遺族の主張を認め石巻市及び宮城県の上告を棄却した。東日本大震災の大惨事から8年余が過ぎた。私はこのブログで大川小の悲劇を船越小校務員の決断と対比して何度か取り上げた。今回の訴訟の対象となった大川小では74人の生徒等が犠牲になり船越小では全員助かった。最高裁は教員には子どもを救うために高いレベルの防災知識と経験が求められると指摘した。裁判官の胸には船越小のことがあったのではないかと考えてしまう。
◇大川小では揺れが去った後、児童たちは校庭に整列し、教員たちは山へ逃げるか迷っていたらしい。「木が倒れるから山は危ない」、「ここまで津波はこない」等様々な意見があって言い争いもあったとされる。長い時間があったのに動くことなく結局大津波に呑まれてしまった。親の中には「人災だ」、「人殺し」と叫ぶ声もあった。大川小の命運を決めたのは山に登れたか否かであった。
 市教委は「大川小震災時の対応」を文書にまとめたが、その中で津波時の避難場所を定めていなかったことにより高台避難を迅速に判断できなかったことや、過去の経験や知識等から津波が来ないだろうと思い込み校庭避難を継続した等を挙げている。教育の場の人命尊重の観点と津波についての地質学的研究が進んでいる背景からすれば最高裁の判断は適切であったと言わねばならない。地質学的研究とは「地層は語る」という視点から進められた貞観地震に関する分析である。
◇大川小の事件と対比されるのが岩手県の船越小である。児童たちは校庭に整列して指示を待った。決断できないでいる校長たちに鬼気迫る態度で迫ったのは校務員の田代修三さんだった。田代さんは言った。「裏山へ逃げましょう。きれい事では子どもを守れない。草をつかんででも逃げなければ」。全員が田代さんを信じて山を登った。全員の後を追うように津波は校舎を呑み込んだ。「もし田代さんの言葉がなく校庭で5分も考えていたら全校が呑み込まれていた」と佐々木校長は語ったと言われる。地域で育ち津波の歴史を肌で知る人の経験を生かすことこそ今求められていることである。
◇19号の被害は西毛で酷かった。私は八ツ場ダムの状況を気にしていた。報道は水位が急激に上昇と伝えた。その実態は113mの水位で満水まであと3m。驚くべき雨量であった。かねて親しい湖畔の「おふく」に電話した。90歳のおふくさんは生きているうちに満水を見たいと思っていたら一晩で達せられたことに「びっくりです」と語られた。(読者に感謝)

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