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2021年10月10日23:20

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土曜は……

 土曜、朝から怠くて仕方ない……それでも、午前中に何とか水槽の水替えを済ませ、午後は映画、

 今日の1本目は、シネマジャック&ベティで、
 「人と仕事」。

 これは、俳優、有村架純と志尊淳がコロナ禍に見舞われた日本の職場の現状をレポートするドキュメンタリー。
 監督を「さんかく窓の外側は夜」の森ガキ侑大が務める。

 2020年、新型コロナウィルスの感染拡大により、製作準備中だった映画「保育士T」が中止となった有村架純と志尊淳は、保育士や農業といった職業に従事している人々を取材し、リモートでは出来ない、そこにいなければできない仕事の価値を再認識していくが……

 この映画だが、映画「保育士T」の製作中止により、スケジュールが空白となった人気俳優2人と映画監督を、言葉は悪いが「使い回した」もの。
 保育士Tのモデルとなった保育士のてぃ先生との対談、有村架純と志尊淳の保育士体験などは、映画製作の準備として行われたものだろう。このクラスの人気俳優を地味な社会派ドキュメンタリーに起用する事など、コロナ禍でなければ出来ようもない訳で、その狙いは面白い。
 だが、それならそれで保育士のてぃ先生のドキュメンタリーとすればよかったものの、映画は、取材対象を、農家からホストクラブ店長、風俗嬢まで広げてしまい、焦点がぼやけたものになってしまった。また、有村架純と志尊淳が実際に話を聞くのは限られた対象だけで、多くは監督らスタッフのみで対応しているのも、肩透かしをされた気分。しかも、中盤以降で、孤児院を取材、就職して孤児院から旅立つ姿を感動的に描いて見せるなど、完全に狙いから離れてしまっている。
 有村架純と志尊淳のふたりが語る言葉にしても、結論が曖昧で空疎に感じられた。
 
 勿論、コロナ禍に見舞われた東京と、そこに暮らし、影響を受けた人々の言葉は、確かに記録するに値する意義はあるだろう。
 だが、連日、テレビなどのメディアでも報じられた類似の内容を超えるものではなく、1本の映画としてもまとまったものとなっていない印象だ。


 続けて2本目は、
 「草の響き」。

 これは、「海炭市叙景」に始まり、「きみの鳥はうたえる」など、函館の映画館シネマアイリスが製作を手がける佐藤泰志原作映画の第5弾。
 監督は「空の瞳とカタツムリ」の斎藤久志。出演は、「寝ても覚めても」の東出昌大と、最近大人気の奈緒。

 東京で出版社に勤めていた工藤和雄は、妻の工藤純子と共に故郷の函館に戻ったが、慣れぬ営業の仕事で精神に失調を来たし、病院の精神科を受診。統合失調症と診断され休職した和雄は、運動療法として、朝晩2回のランニングをする事となった。
 一方、高校生の小泉彰は、札幌から函館に引っ越してきた。転校したばかりで孤立気味だったが、スイミングクラブで出会った高田弘斗と仲良くなって、港の人工島で共に過ごすようになる。
 人工島は、和雄のランニングコースで、やがて3人は時々一緒に走るようになるが……

 不器用な人たちの生き難さを描いて来た佐藤泰志原作のシネマアイリス映画だが、この映画はどのように理解すべきか迷う。
 物語としては、和雄と彰と言う、何処か似ている2人の男の引き起こす、周囲との軋轢を描くものだ。真面目なのだけど、周りの人々と、どうにも上手くやる事が出来ない……応えようとするのだが、その方向性が違い、理解されない。結果として自己中心的な、身勝手な人物と受け止められてしまう……まぁ、そうした部分は自分にもあると思うし、だからこそ、もどかしくも思いつつも共感する所はあるし、そうした人物を肯定的に捉えているのも悪くはないのだが、物語としては受け止め方を迷ってしまう。
 原作にはない和雄の妻を登場させ、夫婦の物語としたせいもあるのだろうか……?

 和雄を演じた東出昌大は、その持ち味のぼんやりした感じがいい味を出しているが……自己中男、と言う役が、私生活のスキャンダルと被って見えてしまい苦笑……これは本人的もどうだったのかなぁ……また、奈緒は、これで今年5本目の映画だ。いかに人気とは言え、これはさすがに出過ぎのように感じてしまった。
 

 その後、桜木町へ移動、駅前のバーガーキングで、チーズバーガーを食べて、これを今日の夕食とした後、イオンシネマみなとみらいで、
 「神在月のこども」。

 これは、神無月に、全国の神々が出雲に集い、翌年の縁を結ぶ会議“神議り(かみはかり)”の云われを題材にしたファンタジーアニメ。
 声の出演は、主人公カンナに蒔田彩珠、カンナの母が柴咲コウ。神使の兎に坂本真綾、鬼の少年に入野自由、と人間側が顔出しの俳優、神側がアニメ声優と言う異色のキャスティングとなっている。

 走ることが大好きだった12歳の少女カンナだが、母の死をきっかけに走ることが楽しくなくなってしまった。
 神無月の10月に行われたマラソン大会の日、母の形見の曲玉に触れたカンナは、神使の兎と、鬼の少年から、母が走りの神・韋駄天であると知らされる。カンナは、兎が口走った「ご縁があれば母に会える」の言葉を真に受け、母のお役目である、全国の神々から馳走を預かって出雲へ走る事を請け負うが……

 この映画、何だかあちこちに既視感……母を亡くした喪失感の克服、と言うテーマもありきたりだし、出雲での神々の集いは、まるで「千と千尋の神隠し」だし、カンナに取り憑いた神モドキは、「もののけ姫」の祟り神、日本の伝統文化の応用や、クライマックスなど音楽で盛り上げるのは「君の名は。」のよう……まぁ、既存の作品の影響を受けるのは仕方ないにせよ、既視感が出てしまうのは、この映画ならでは、若しくは先行するものを超えるものを見せられていないから。しかも、アニメーションとしては、絵の丁寧さには好感が持てるものの、走りの映画なのに、肝心の走るシーンにスピード感も躍動感もないと言う……描写も演出も、稚拙とまでは言いたくないが、意あれど力及ばず、と言うのが正直な所だ。
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