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2021年09月19日00:23

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土曜は……

 土曜は……台風14号の接近で、午後は大荒れになる、との予報で、今日は車検に出していたクルマを引き取りに行く事を断念。

 午後、映画館に籠ることにする。
 そんな今日は、シネマジャック&ベティで、ドキュメンタリー映画、3連発。

 まず1本目は、
 「くじらびと」。

 これは、インドネシアで、鯨の銛打ち漁を行う漁師たちの暮らしを撮影したドキュメンタリー。
 監督は、「世界でいちばん美しい村」の石川梵。

 インドネシアの海沿いの小さな村、ラマレラ村。土地は岩だらけで農業は出来ず、村の暮らしは海の恵に依存していた。
 そんな村では、クジラの銛打ち漁師たちはラマファと呼ばれ、最も尊敬されている。1年間に10頭獲れば、1500人の村人が暮らしていけるのだ。死と隣り合わせのクジラ漁で、彼らは銛1本で巨大なマッコウクジラに挑むが……

 これは驚くべき映像の連続――これは、石川梵監督が30年に渡って続けた取材の成果なのだと言う。物言わずに村人を追うカメラをほとんどみな意識する事はなく――例外はドローンを追いかけてしまう子供たちくらい――あたかも、ただ、鑑賞者の目がそこにあるかのような映像には引き込まれる。
 人々の暮らし、くじら船の建造、無邪気な子供たち……と観るべきものは多いが、やはり着目は銛打ち漁だ。小型船の舳先から銛を打ち下ろす突きん棒漁は日本でも行われているが、コレは相手がくじら船と同じか、下手すると大きいマッコウクジラが相手なのだ。船の舳先から銛を振りかざして飛び降り、体重をかけて銛を打ち込む……下手をすれば反動で身体を痛めるし、尾びれで打たれたり、打ち込んだ銛ごと海中に引き込まれたら命はない。まさに命懸けの漁なのだ。

 映画は、そんなクジラの銛打ち漁を中心に村の暮らしを描く……クジラの命を奪うことで繋がれる村人の命と、クジラの価値――一切れの鯨肉が市場ではバナナ12本と等価なのだと言う。死にゆく鯨の目と、その目を見てはいけないとする漁民の掟。紺碧の大海原とクジラの鮮血のコントラスト……欲を言えば、今やラマレラ村も自給自足と物々交換だけでは成り立たなくなっているし――実際、スマホでクジラの解体を撮影する若者がいたりする――命懸けの銛打ち漁に尻込みする子供もいる筈で、こんな村の暮らしもいずれは変わって行く、と言う視点が欲しかった所だが、今のままでも、これは充分に凄いドキュメンタリーだ。


 2本目は、
 「息子のままで、女子になる」。

 これは、トランスジェンダーの新世代アイコン、サリー楓こと畑島楓に密着したドキュメンタリー。監督は「選挙フェス!」などで知られるドキュメンタリー作家の杉岡太樹。

 男性として生まれた楓は、幼い頃から夢見ていた建築家となるべく、大学に進学……だが、在学中に女性として生きてゆくことを決断する。ビューティーコンテストへの出場や講演活動などでメディアに注目されていく楓だったが、息子として父親の期待を受け止めきれなかった葛藤が根強く残っていた……

 「LGBTには生産性がない」と公言する国会議員がいて、今国会でもLBGT法案の成立が見送られた、偏見と差別に寛容な国、日本……実際、「LGBTを認めてもいいが、その印を両肩につけろ」と言われたりもするそうだ……つまり、“黄色い星”をつけろ、と言う事。それが日本の多様性への寛容さ、と言うことか。
 楓の語る、「誰もが『自分はLGBTを認めてるけど、みんなはそうじゃない』と言って、私たちを排除する」と言う言葉にははっとさせられる……それが、自分を含む、日本のやり方だ、と言う事に。

 映画は、ビューティーコンテスト「ミス・インターナショナルクィーン」への出場までを追うドキュメンタリーとして始まるが、2009年には、あのはるな愛が優勝した事でも知られる同コンテストは、単なるミスコンではなく、パフォーマーとしての資質を問うもので、ステージパフォーマーとしては素人の楓にどうこう出来るものではなく、結果としては日本代表にさえなれずに終わる。映画は、そこから、楓本人、そして親子関係を掘り下げて行くのだ。
 トランスジェンダー女性の抱える生き辛さを、本人の口から語る言葉で知るのは興味深くもあるし、それを記録した映像を、父親に見せる、と言う終盤の展開はサスペンスであったりもする……だが、楓が持つ、若さ故にまるめられていない頑なさと、杉岡太樹監督の無遠慮さが、映画をいささか一方的なものにしているように思う。
 映画終盤、楓とはるな愛の対談が印象的だ。楓の話にはるな愛が思わず涙し、「闘いすぎてるよ」と戒める――その共感と寛容さこそが、この不寛容な時代で、LGBT問題を語る時に必要とされるものではないのだろうか?
 

 そして、3本目。
 「東京クルド」。

 これは、日本で暮らす2人のクルド人青年の姿を通して、日本の難民認定の問題に迫るドキュメンタリー。
 監督は数々のテレビドキュメンタリーを手掛けてきた日向史有。

 日本の難民認定率は0.3%と難民条約加盟国の中で飛び抜けて低い。その中でも、トルコ政府と対立しているクルド人難民については、親日国でもあるトルコに忖度してか、2000年以降、ただのひとりも難民認定されていないと言う。
 18歳のオザンと19歳のラマザンは、幼い頃に難民として来日、それ以降、13年にも渡って難民申請を続けるトルコ国籍のクルド人。入管の収容を一旦解除される“仮放免許可書”を持つものの、身分は“不法滞在者”だ。就労は出来ず、住民票もないので、社会的保護は受けられず、保険にも入れない。日本に来てから生まれた弟や妹には、国籍さえない……いつ収容されるか分からない不安を感じながら将来を思い描く彼らの日常は……

 オザンとラマザンは、不法滞在者として2ヶ月に1度、東京入国管理局に赴き、チェックを受けている。
 ラマザンは専門学校に通って勉強しながら、難民申請を続けているが。オザンは生活の為に、解体現場などで闇バイトをしていた。そんなオザンに入国管理官は、「就労は認められない」と言い「それではどうやって暮らして行くのか?生活保護もないのに」と訴えるオザンに「それは自分でなんとかしろ」と言い放つ……これが、この国の言う、「自助」と言うヤツらしい。
 つまり、「この国でのたれ死ぬか、母国で処刑されるか、それは自分で決めろ」と言う事。オザンが持ち込んだスマホには「別の国に行ってくれよ」と言う管理官の軽口も記録されていた。

 オザンは言う。
 「この国では自分らクルド人は虫けら以下。ダニだ。何も期待されないし、何の役にも立てない」
 本来、夢も希望もあるはずの18歳の青年に、これを言わせてしまう国と社会と言うのは何なんだろうか?

 勿論、日本人には日本人の言い分がある。
 「日本の治安を守る為、犯罪者である不法滞在者を許す訳には行かない」
 だが、幼いうちに来日、日本しか社会を知らない彼らクルド人青年には、他に行き場もないのだ。「日本人ではないから」、犯罪者だとするこの国のあり方には考えさせられる。
 これは、今、観るべき1本だと思う。

PS
 難民申請を続け、更に不法滞在者認定は不当だとする訴えを起こしていたラマザンの要求は一部認められ、滞在権が与えられる事になった、と言う……だが、それは僅か「1年」だった。
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