mixiユーザー(id:124952)

2020年11月23日00:10

41 view

土曜は……

 土曜は、午後、映画3本。

 1本目は、Kinoシネマみなとみらいで、
 「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい」。

 これは、世界中で愛される名作舞台劇「シラノ・ド・ベルジュラック」の誕生までの物語。
 元は舞台劇と製作された本作を監督したのは、舞台版を演出した劇作家で俳優のアレクシス・ミシャリクで、本作が初の長編映画となる。
 
 1897年、パリ。妻と子供を抱え、生活に行き詰まった劇作家のエドモン・ロスタンは、名優コンスタン・コクランに、英雄喜劇の執筆を提案する。
 コクランは乗り気で、新作の劇作家に取り立てられたエドモンだが、初演まであと3週間の時間しかなかった。
 そんな中、友人で俳優のレオの片思いの相手、ジャンヌへの手紙の代筆を依頼される。ジャンヌは、エドモンのファンで、その文学センスに刺激されたエドモンは文通を行うようになり、そこからインスピレーションを得て、新作劇の筆も進む。
 やがて、台本は完成し、通し稽古に入ろうとするが……
 
 この映画、元は舞台劇だったと言うが、あまりそれを感じさせない、映画的な動きを計算した演出が冴える。
 物語の方も、舞台劇を作り上げる、と言うもの作りの面白さに、レオの代役として始まった恋物語を絡め、マイペースの有名俳優に、ギャング紛いのスポンサー、我がまま女優と、一癖も二癖もあるキャラクターを配して、コミカルなエピソードも盛り込むなど、その手法に抜かりなし。
 コクランの借金返済の為に、年内に初舞台をしなければならないと言うタイムサスペンスの要素も合せて、物語を凝縮、次々と発生する無理難題を押しのけて、遂に初演を迎える展開は爽快だし、シラノの純愛と重ねるように、エドモンの許されぬ恋が描かれるのは美しい――大成功に終わり、カーテンコールに応じるエドモンを舞台袖から見守るジャンヌと言うカットには、胸が締め付けられるような想いにさせられた。

 なるほど、これは傑作だ。
 

 2本目は、
 「エイブのキッチンストーリー」。
 
 これは、少年が自ら発案した料理で家族の絆をつなぐ物語。

 ブルックリン生まれの12歳の少年エイブは、イスラエル人の母とパレスチナ人の父を持ち、文化や宗教の違いから対立する家族にいつも悩まされている。
 そんなエイブの最大の関心時は食事と、そして、料理を作ることだった。夏休み、イベント会場で食べ歩きをしていたエイブは、世界各地の味を掛け合わせたフュージョン料理を作るブラジル人シェフのチコと出会う。
 エイブはフュージョン料理を自身の複雑な背景と重ね合わせ、自分にしか作れない料理で家族を一つにしようと決意するが……

 他民族国家であるアメリカの問題を、家庭内に持ち込み、それを「食」で解決しよう、と言う物語。着眼点は悪くないが、食文化と民族対立は別、と言う感覚の日本人からすると、それで上手く行くか?と端から疑問が湧いてしまうのだが……
 また、ユダヤ料理と、パレスチナ料理に馴染がなく、メニューを言われても、それがどんなものなのか理解出来ないのがちょっともどかしかった。
 クライマックスの対立からの破綻、そして和解……と言うのは、個人的にはちょっとすっきり来なかった――あれじゃ、エイブの料理は意味が無かった、と言うようなものではないか、と……

PS
 劇中でエイブが言う、味覚の5要素「塩味、甘味、酸味、苦味、うま味」……この「うま味」は英語でも「UMAMI」なのか……
 それにしても、味覚を5要素で語るとは……と思っていたら、この映画、協賛は「味の素」なのね。なるほど。


 映画の後、外に出ると……
フォト
 紅葉とランドマークタワー。そして月。


 その後、109シネマズ川崎で、
 「泣く子はいねぇが」。

 これは、是枝裕和率いる映像制作者集団“分福”の新人・佐藤快磨のオリジナル脚本による長編デビュー作。
 出演は仲野太賀。

 秋田県男鹿市。娘が生まれてデキ婚をした、たすくだったが父親の自覚を持つことができずにいた。妻のことねは、そんなたすくに愛想を尽かしつつあったが、それを決定的にする事が起きる。
 大晦日の夜、「泣く子はいないか」とナマハゲが男鹿の街を練り歩く。その最中、全裸のナマハゲが、生中継のニュース番組で全国に放送される事件が起きてしまう。その正体は、泥酔しきったたすくだったのだ……

 これは、大人になれなかった男が、現実に向き合う物語、と見ればよいか……それにしても、地方協賛型の映画で、こうも地方を腐してよいのか、と言うのは気になる所。
 地方社会では、個を殺し、縦社会の中で仮面を被って長老の言うが通りに動いていれば一人前と認められる……その仮面の象徴がナマハゲなのだ。
 そこで居場所をなくした男が逃げ出し、舞い戻るも、そこに居場所はなく、今度は己の意思で仮面を被る……二度とここで暮らす事は出来ないと覚悟を決めて。
 秋田は、そんな閉鎖社会だと描かれてよかったのだろうか?

 また、仲野太賀は、大人になり切れず、言いたい事が言えない男と言うのが、「生きちゃった」の主人公と重なる……あまり、こう言う役ばかり演じていると、そうした“色”がつくんじゃないかなぁ……そんな所も気になってしまった。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年11月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

最近の日記

もっと見る