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2020年11月01日22:50

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土曜は……

 土曜は、午後から映画2本。
 1本目は、川崎チネチッタで、
 「パピチャ 未来へのランウェイ」。

 これは、’90年代のアルジェリアで、イスラム原理主義による女性弾圧を背景に、ファッションデザイナーを目指す女子大生を主人公に描くドラマ。
 アルジェリアで17歳まで暮らしたムニア・メドゥール監督の経験から生まれた映画で、昨年のカンヌ国際映画祭・ある視点部門正式出品作品。米・アカデミー賞国際長編映画賞アルジェリア代表作品でもある。

 1990年代、アルジェリア。イスラム原理主義者が台頭し、テロが頻発。内戦状態となった首都アルジェで、大学生のネジュマは女性服を作るデザイナーになることを夢見て、ナイトクラブに繰り出しては仲間たちからドレスの注文を受けていた。
 しかし、ヒジャブをまとわない女性が襲撃される事件が多発し、ヒジャブ着用を強制するポスターが至る所に貼られ、大学でも外国語教育が弾圧されるなど、原理主義者の行動は過激化し、社会もそれに同調。ジャーナリストだったネジュマの姉は、女性の権利を主張したとして射殺されてしまう。だが、そんな横暴に屈しまいとするネジュマは、度重なる困難を乗り越えて自分たちの自由と未来のためにファッションショーを行うが……

 タイトルのPAPICHA(パピチャ)とは、アルジェリアのスラングで、愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性を指すと言う……日本で言う”ギャル”に近いニュアンスだろうか?
 
 これは男たちの作った社会で抑圧される女性たちの物語で、「82年生まれ、キム・ジヨン」と同様と言える。
 しかし、その抑圧度合いは、比較にならないくらいに強烈だ……何しろ、男性の暴力と言うのは銃弾となって襲いかかるのだから、抵抗と言うのは命がけになってしまう。
 でも、彼女たちはそれでもひるまない。言うべき事は言うし、暴力にも屈しない。
 男性の生半可な理解を許容しない辺りを含め、現在のイスラム社会(本来の、ではない事に注意)への苛烈で容赦のない描写は、彼女らを抑えつけていたものの反動として理解出来るだろう。
 女子大生のファッションショーへのイスラム社会の返答と言うのもまた凄まじいものだが、
 「それでもここで生きて行く」
 ……女性として、子供を産み、この国に根付いていくという事を最後に描いたのは、アルジェリアから逃げ出す事になってしまったムニア・メドゥール監督の悔恨の想いだろうか。

 イスラム教の教えは、決して女性の権利を奪う事を目的とするものではなく、むしろ保護しようとするものであるのに、それが女性の自由と権利を奪う……映画「ブレッドウィナー」にもあったように、イスラム原理主義者が女性の外出・労働を禁じたせいで、女性しかいない家庭は死を選ぶしかない、と言う事になっているのは、宗教の暴走でしかない。
 また、これはイスラム社会に限った話ではない。男性を刺激する服を着て襲われたならそれは自己責任、と言われる社会とは、ヒジャブ着用を強制する社会と変わる所はないのだ。

 そして、この映画だが、社会情勢の問題もあったにせよ、アルジェリア国内では上映が禁止された。
 そんな社会だからこそ、この映画作られた意味があるとも言えるのだが。  

 映画の後、バーガーキングでチーズバーガーを食べ、それから渋谷へ――ここで気づく。あ、今日ってハロウィンか……しまったぁ、来るんじゃなかった。嫌いなんだよ、ああ言う騒ぎってのは。
 でもまぁ、それでもここでないと映画を観られないのだから仕方ない。とりあえずは、アップリンク渋谷に急ぐ。

 今日2本目は、
 「シカゴ7裁判」。

 これは、1969年、ベトナム戦争の最中に行われた反戦活動家の裁判を描く、実録裁判劇。
 ネットフリックス製作の配信作ですが、社会派、かつ内容自体に見応えがあり、アカデミー賞も狙える、との事で限定的に劇場公開された。
 
 1968年8月、次期大統領候補を決定する、イリノイ州シカゴの民主党全国大会で反戦デモが行われた。平和的に行われるはずの抗議デモだったが、デモ隊と警察が衝突、暴動に発展してしまう。
 この影響もあって、民主党は党をまとめる事が出来ず、大統領の座を、共和党のニクソンに譲る事になってしまう。
 暴動を扇動した容疑で逮捕された7人(シカゴ・セブン)は、起訴には至らないとされていたものの、共和党政権下で、新たな司法長官は7人に共謀罪を適用して有罪にする事を目論む。そして、「米国史上最も理不尽」と言われた裁判が始まるのだが……

 この映画だが、1960年代の事を描きながら、現在の社会情勢とシンクロ、と言うか、これは明らかに現在社会を投影する事で、この物語を多くの観客に身近に感じられるようにしている。
 反戦運動家らに対し、裁判を起こす司法長官が「法と秩序を思い知らさせてやる」と言うのは、正に現在、トランプ大統領が言ってる事と同じだし、何故か同様に裁かれる事になっていたブラック・パンサーのメンバーが法廷で、拘束され、猿轡をはめられて息が出来ない、と訴えるのはジョージ・フロイド氏の拘束死事件を連想させる。
 映画は、そうした現代にも通じる問題として、政権によって仕掛けられた”政治裁判”の理不尽さに対し、被告人だけでなく、証人や関係者、最後には検察官までもが、それぞれの立場で、正義を貫く姿には心打たれるものがある。
 更に、それにより、元々連携もしていない――なのに共謀罪で訴えられた――各政治団体のメンバーが、裁判を通じて分かり合い、ひとつになっていくと言う皮肉な現実をも見せるのだ。

 クライマックスとなるのは、判決の日に、被告に発言機会が与えられた際、根本に立ち返り、そしてアメリカ市民であれば止めてはならないやり方で、己の正義を示す事。
 これを止めようとする者、認められない者は、アメリカの正義を語る資格はない、と言う事を示す印象的なシーンとなっている――それはつまり、権力者にも、年長者にも屈するな、と言う事、そして、市民には、その力があるのだと言う事。

 こんな映画が、大統領選挙の年に作られた、と言う事をあらためて考えさせられる。  
 

 映画終わると、もう夜だ……そう言えば、夜の渋谷ってのも久々だ。
 フォト
 渋谷の満月。

 ……ま、ハロウィンの騒動には興味はない。早々に退散。

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