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2020年09月23日00:18

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月曜は……

 月曜は、休暇をとって映画3本。

 1本目は、川崎チネチッタで、
 「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」。

 これは、「親切なクムジャさん」のイ・ヨンエの14年ぶりの映画復帰作。
 監督は、本編で長編劇映画デビューのキム・スンウ。

 看護師として働くジョンヨンと夫ミョングクは、6年前に失踪した息子ユンスを捜し続けていた。
 その捜索の最中、夫はいたずら電話で命を落とし、憔悴したジョンヨンの元に、報奨金と引き替えに「郊外の漁村にある『マンソン釣り場』でユンスに似た少年を見た」という情報が寄せられた。漁村を訪れたジョンヨンだが、マンソン釣り場に、ユンスらしい少年の姿はなく、地元の警官も覚えがないと言うのだが……

 これは、韓国でも問題視されている失踪事件や、児童労働などを背景にした社会派映画、と思っていたのだが……悪意あるいたずらで夫を失い、善意の通報は、実の弟に隠蔽された上で高額で売りつけられ、マンソン釣り場は汚職警官によって支配され、行き場のない元犯罪者を不当に安く働かせている。しかも、そこでは誘拐して来た児童を働かせ、更に、性的暴行まで加えていると言う、主人公以外の大半が悪党、と言う救いのない設定。
 そうか、これは悪党を倒してカタルシスを得る類いの映画だったか、と思い直したのだが、確かに終盤に逆襲はあるものの、これも、不完全燃焼気味に終わってしまう。
 最後のドンデン返しと、ハッピーエンドもとってつけたような感じで、社会派にもエンターテイメントにも振り切れていない、中途半端な仕上がりは韓国映画としては珍しい。キム・スンウ監督の未熟さが露わになった感じだろうか?
  

 2本目も、川崎チネチッタで、
 「メイキング・オブ・モータウン」。

 これは、デトロイトに生まれた伝説の音楽レーベル「モータウン」の、創立60周年記念作品。
 20世紀、世界に大きな影響を与えた独立レーベルの誕生から現在までを、創設者ベリー・ゴーディを中心に、スターたちのライブ映像や証言を交えながら描くドキュメンタリー。
 監督は「アイ・アム・ボルト」のベンジャミン・ターナーとゲイブ・ターナー。

 「モータウン」の創設者、ビリー・ゴーディは、新聞販売員を経てジャズのレコード店を経営するが破綻。その後、フォード社に勤務し、自動車工場から強い影響を受けた彼は、1959年、家族から借りた800ドルを資金に、“自動車の街”を意味するモータウン・レーベルをスタートさせる。
 その黄金期を彩ったのは、ミラクルズ、テンプテーションズ、ダイアナ・ロス&スプリームス、フォー・トップス、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、マーサ&ザ・ヴァンデラスといったスターたち。
 そんなスターたちの貴重なライブ映像や証言を交えながら、その軌跡を辿る。

 この映画は、「モータウン」の創業社長、ベリー・ゴーディと、ブラック・ミュージックの大御所にして副社長のスモーキー・ロビンソンの語りを中心に進む。懐かしの名曲を聴きながら、その歴史を辿るものと思っていると、その内容はかなりマニアック。語りと字幕に映像、と情報量も膨大で、ついて行くのに一苦労。映画は、映画館で観るべき、と言う考えだが、ここまでの情報量だと字幕は完全に追いついておらず、時に振り返り、資料に当たりたくもなるので、DVDか配信での鑑賞が妥当かもしれない。
 名だたる歌手が次々に登場、懐かしい名曲の歌唱シーンや、その誕生秘話……そして、デビュー時のスティービー・ワンダーの天才っぷり、10代にして既に完成されたダンスを踊るマイケル・ジャクソン(当時はジャクソン5)……と、貴重な映像やエピソードも満載。

 また、音楽映画としてだけでなく、「モータウン」成功の裏には、自動車工場を参考とした分業と品質管理があった事が描かれる……才能を発掘、入念な育成で開花させ、メロディ・歌詞・ダンスとそれぞれのエキスパートが部分部分を作り上げて、最後、品質を確認して送り出す……と言う、現在の音楽ビジネスの原点となったシステムを構築したのだ。
 そして、その経営は黒人が中心で、女性や若者など、広く意見を取り入れた事も描かれると共に、企業理念として、マイノリティである黒人の誇りを取り戻し、自尊心を育成する事が上げられていた――これは現代の企業経営においてもお手本となるようなものだろう。

 まぁ、この辺りまで行くとさすがに褒めすぎな感もあるが、これも創立60周年記念作品とすればやむを得ない所か。
 企業の興亡を描くものではなく、物語で行けば「起」と「承」しかないのだが、それでも尚、見応えのある内容であるのは間違いないと思う。
 

 3本目は、シネマジャック&ベティで、
 「許された子どもたち」。

 これは、「ミスミソウ」の内藤瑛亮監督が、近年多発するいじめによる子供の殺害や自殺事件を元に作り上げた物語。
 主演の上村侑を始め、主要キャストの少年少女は、ワークショップを経てキャスティングされた。

 ある地方都市で、中学の不良少年グループのリーダー格の市川絆星は、同級生の倉持樹を日常的にいじめていた。ある日、樹に作らせた割り箸ボウガンで遊んでいた際、仲間のひとりを庇った樹に立腹した絆星は、樹にボウガンを向け、首を射って死なせてしまう。
 その場からは逃げ出したものの、警察の取り調べに自供した絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の説得で否認に転じ、少年審判は無罪に相当する「不処分」となった。そして、自由となった絆星だったが、世間からのバッシングと、樹の遺族からの民事訴訟から逃げる為、名前を偽って転居を繰り返す事になる。
 事件から半年後、港町の中学に通う絆星は、同級生の桃子がいじめられている場面に直面するが……

 この映画は、人を殺した事に如何にして向き合うべきかを問うもの。実際、殺人犯でさえ、その多くが反省などしないものだと言うが、それが少年、しかも、遊びの延長線上でしかない「いじめ」によるものとあっては尚更だ。更に、母親は一貫して息子を擁護し、弁護士も、裁判所も、死した被害者少年よりも、加害者少年の更生に重きを置く。
 内藤瑛亮監督は、山形マット死事件や、多摩川の中学生刺殺事件、大津いじめ自殺事件など、多くの事件を調査しており、こうして描かれた内容は、正に現実のそれであるのだろう。
 事件の当事者を取り巻き、好き勝手に断罪して誹謗中傷を繰り返すネット民、幼稚な正義感から弾劾や通報に走る同級生、コミュニティから「出て行け」と迫る近隣住民の姿にも、そうした取材に基づくリアリティが感じられる――その背後にあるのは、「殺人」を端から理解せず、ただ理解不能なものとして追いやってしまう、人々の反応……だが、「殺人」が理解不能であるのは、殺した当事者でさえそうなのだ、と言うのが恐ろしい所ではあるのだが。
 また、加害者少年とその家族への誹謗中傷やバッシングは理解出来るが、被害者遺族に対しても「賠償金目当て」と言う誹謗中傷が殺到し、こちらもまた追い詰められていく、と言うのは意外だったが、これもまた一面の事実なのだろう。

 絆星を演じた上村侑はこの難役を巧みに演じている。激情に任せるシーンもあるが、多くは黙して感情を表に出さないもので、その心境を僅かな表情変化で見せるのは大したものだ。目力の強さといい、柳楽優弥が「誰も知らない」でデビューした時の頃を連想した。

 映画は、どうしようもない現実を描きつつ、物語らしい結末を用意しない。
 物語的には、絆星が樹を殺したのと類似の状況で、桃子を傷つけてしまった事から、反省し、己の罪に向き合う……と言うのがきれいにまとまるだろう。
 だが、そんな安易な結末をこの映画は用意しない。絆星は、桃子を傷つけた後に思わぬ方向に走る――あれは事故だったのだ。なのに、なぜ、ここまでバッシングされ、苦しまなければならないか、と怒りを爆発させるのだ。
 そして、母親が暴行被害にあった事で、今度は、自分が被害者になったと考える……それは母親も同様だ。事件の被害者として開き直り、中学生の息子が目前で喫煙を始めても咎める事さえしない。 

 人ひとりを殺して、この有様。被害者の母親は、絆星に言った。「何を謝るのか判らないんでしょう?」と。
 でも、多くのいじめ事件で、加害者の認識たるやこのようなものなのだろう――これでは、自殺など「死に損」だ、その死によって、いじめを行った者が反省し、贖罪する事などないのだから。
 この映画は、そんな現実を描き、それを観客に突きつける……これが現実だ、と。
 それに対する答えは、観客ひとりひとりが出さなければならないのだろう。 
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