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2020年09月07日00:21

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土曜は……

 土曜は、今週も新宿まで行き、シネマカリテで映画2本。
 1本目は、
 「僕の好きな女の子」。
 これは、芸人で芥川賞作家の又吉直樹による恋愛エッセイを、演劇ユニット玉田企画の主宰者でもある玉田真也が映画化した恋愛映画。
 主演は渡辺大知。ヒロインは奈緒。

 脚本家の加藤は、写真家のミホの飲み友達。呼び出されれば飲んで騒いでバカ笑いをするが、加藤はどうしても「好き」と言う気持ちを伝えられずにいた。
 友人たちからそんな関係も全く理解されずにいるが、加藤は、一歩踏み出してこの関係が壊れてしまう位なら今のままの関係で十分幸せだった。
 しかしある日、ミホから交際している彼氏を紹介する、と言われて……

 これは、劇中で加藤が言う「半径2メートルの小さな世界」どころか、もっと小さな話であるかもしれない。
 まぁ、これもまた又吉直樹の小説の主人公らしく、傷つくことばかりを恐れてうじうじとしている癖に、プライドだけは高く、口ばかり達者な面倒な男。彼女に飲み物を買ったり、土産を用意しながらも、何故かそれを渡せない……「好き」を伝える所か、彼女に何かする事さえ躊躇する加藤には苛々させられ、「僕が好きな女の子は僕を好きにならない」と恨み言を言う前に行動しろ、と思うが……実は、この加藤の気持ちも、口に出せない思いも、判り過ぎるほど判ってしまうのが我ながら痛い……

 そんな情けない男、加藤を説得力十分で演じる渡辺大知の上手さったらないし、コロコロとよく笑うミホを演じた奈緒もまたいい。
 そんなふたりの距離感を巧みに演出した玉田真也監督も上手い。長回しで見せる、会話劇の面白さは、やはり舞台演出家ならでは、と言う所だろうか。

 ひとつ文句をつけるとすれば最後のオチ。
 ありゃねぇだろう、と言うのが正直な感想だ。
 あれが脚本家である加藤の妄想だとしたら、それまで“情けない加藤”に感情移入しまっていた気持ちの持って行きようがないではないか。

 映画の後、昼はマサラダイニングでカレーセット。
 フォト
 ナンが巨大で……完食したけど、最後は苦しいくらいだった。 

 食事の後、2本目の映画は、 
 「行き止まりの世界に生まれて」。
 これは、主要産業が衰退した米国ラストベルトで暮らす少年たちを映し、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門とエミー賞ドキュメンタリー&ノンフィクション特別番組賞ノミネートされたドキュメンタリー映画。
 また、バラク・オバマ前大統領が本作を2018年の年間ベスト映画10本に選出している。

 アメリカ、イリノイ州ロックフォード。かつては鉄鋼や石炭、自動車などの産業で栄えていたが、いまやそれらは衰退し、ラストベルト(錆びついた工業地帯)に位置している。
 この街で暮らすキアー、ザック、ビンの3人は、貧しさや、家庭内暴力から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいた……

 映画原題は「MINDING THE GAP」で、直訳すれば「段差に気をつけろ」。これは段差に弱い、スケートボード乗りに必須の心構えであると共に、僅かな躓きが人生を狂わす、と言うダブルミーニングとなっています。

 監督のビン・リューは、10代の頃から撮りためたスケートビデオに、その後、12 年間に及ぶ映像記録で、未来のない街に生きる若者の閉塞感を描き出す。
 監督でもあるビンは中国人、リーダー格のザックは白人、キアーは黒人……人種も異なる3人の少年に共通するのは、スケートボードの他に、貧困と家庭内暴力……そんな家には戻りたくないから、街角に屯し、嫌な事を忘れる為、漫然と乗る訳にはいかず、集中力を要するスケートボードに没頭をしているのです。

 そうして、ただただスケートボードに集中していた少年の日が過ぎ、やがて大人になって行く。ビンは大学に行って映画を作り始め、関係のよくなかった母親と向き合い、己に向けられた暴力をも紐解いて行く。キアーは仕事に就き、ザックは結婚して子供も授かった。
 だが、ザックは大人になり切れず、何時しか妻に暴力を振るうようになって行く――少年の頃、家庭内暴力にうんざりしていた3人、そのリーダー格であったザックが「殴られても仕方のない女もいる」と言うようになるとは……貧困が生む不幸の連鎖、それを生んだものは何かを問う時、原題の意味を知る事になるのではないだろうか?
 その意味では、邦題はちょっと失敗しているように思える。


 そして、横浜に戻り、T−JOY横浜で、
 「mid90s ミッドナインティーズ」。
 これは、「マネー・ボール」などで知られる俳優ジョナ・ヒルが初監督し、自身の青春時代を回想して描くもの。
 出演は、「ルイスと不思議の時計」のサニー・スリッチ。共演はルーカス・ヘッジズ。

 ’90年代半ばのロサンゼルス。13歳のスティーヴィーは、兄イアンと、シングルマザーのダブニーと3人暮らし。父不在の家で、イアンは早く大人になりたいと思っていた。
 スティーヴィーの憧れは、街のスケートボードショップで店員として働くレイと、彼の仲間の少年たち。自由気ままな彼らに魅了されたスティーヴィーは、兄から貰ったスケートボードを持って近づくが……

 これもまたA24作品。描かれるのは、揺れる青春の想いと苦悩。それを、’90年代西海岸の若者文化に重ね、当時少年だった自身の思い出として描く。
 スケートボードはともかくとして、タバコに酒、セックスとドラッグと、13歳の少年が経験するにはいささか早すぎるし、一体、何処までが経験に基づくものやら……
 音楽に、若者映画として使いがちなロックや流行りのポップスではなく、ヒップホップを主にする辺りや、16mmフィルムを使い、スタンダードの画角とざらついたフィルムの画質で見せる辺りは、才人らしいジョナ・ヒルのセンスを感じる部分。

 スケートボードに興じる少年たちは黒人にメキシコ系移民、背景には貧困や家庭内暴力や抑圧がある……と描かれ、当時のスケートビデオの風潮を取り入れて、仲間のひとりがビデオカメラを終始持ち歩いて撮影していると言う設定にしているが、これには同日観た「行き止まりの世界に生まれて」を連想してしまったり……
 ただ、スティーヴィー自身には貧困も、家庭内暴力も、人種問題もなく、これはジョナ・ヒル自身もそうであったろう。それ故に、スケートボーダーらの生き様の捉え方が、いささか表層的で、奇麗事に留まっているようにも思えた。
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