水曜は、リモートでの講演を行った後、そのまま仕事上がって、
「はちどり」
を観に行こう、と思っていたのだが、ぐずぐずしているうちに時間を逃してしまい、その時刻から観られるものを、と予定を変更。
結局、TOHOシネマズ海老名で、
「もののけ姫」
となった。
これは、森を侵す人間たちと荒ぶる神々との闘いを、日本アニメ史上空前の製作費による壮大なスケールで描いた長編アニメーション。
監督・原作・脚本は「風の谷のナウシカ」の宮崎駿。公開時には、日本映画界における配収記録歴代1位となり、スタジオ・ジブリの名を不動のものとしている。
室町時代、北の果てにあるエミシ一族の青年・アシタカは、里を襲ったタタリ神を倒したせいで、右腕に死の呪いをかけられてしまった。呪いを生んだ西に行けば救いが見つかるかもしれないというお告げを受けたアシタカは、西へ旅立つ。
その西国で、シシ神の森を切り拓き、製鉄を行うタタラ場の女頭領のエボシ御前、ナゴの守という猪神をタタリ神に変えてしまったことを知るが……
本作も劇場公開以来、23年ぶりの観賞となる。
公開当時は、本作の持つパワーに圧倒された記憶があるが、現在、こうしたあらためて観ると、圧倒されたのは作品の中身よりも、その製作に懸けた宮崎駿の想いだったと言うのが判る。
スタジオジブリのアニメを、アニメの枠を越えて映画として世に認めさせ、更に日本を背負って、世界に打って出ようとする思い……それは、宮崎駿が黒澤明のようになろうとし、作品もまた黒澤作品のようにしようとする挑戦――それ故に、日本を舞台とし、時代劇の体を取り、考証にも拘った。
勿論、それは当時のアニメとして望み得る最高に近いものとなったし、それが高く評価されたのも事実だ。
だが、同時に宮崎駿に、彼のアニメの限界を思い知らしめるものになったのではないだろうか?
力み過ぎているようにも思える時代がかった台詞はベテラン俳優を以てしても判りづらいものとなり、宮崎アニメとして求められる全年齢対応故、流血や残酷なシーンは描けず、当時の生活感も充分に出しているとは言い難い……つまり、黒澤と同じようなものは作れない。
本作以降、宮崎アニメはファンタジー色を強めたものとなって行ったのは、本作で思い知った限界が、方向転換を強いたように思える。
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