mixiユーザー(id:124952)

2020年03月12日00:46

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3月11日

 東日本大震災から、今日で9年。
 そんな日に観る映画として選んだのはこれ。
 「Fukushima50」。
 これは、門田隆将のノンフィクション小説「死の淵を見た男  −吉田昌郎と福島第一原発」を原作に、東日本大震災時の福島第一原発事故を、渡辺謙と佐藤浩市のW主演で描くドラマ。
 監督は「空母いぶき」の若松節朗。
 
 2011年3月11日、午後2時46分。東北地方沖合でマグネチュード9.0と言う巨大地震が発生。東都電力福島第一原発では、地震により電力を喪失、非常用発電機による電力供給に切り替えて運転していたが、そこに地震よる巨大津波が襲い、全電源を喪失してしまう。
 現場を掌握する当直長の伊崎と現場作業員らは、状況の把握と事態の収拾に奔走するが……

 この映画は一言で言えば“戦争映画”。
 そして、映画にするならば、絶対に負け戦の方が面白い――勝ちに不思議の勝ちあるが、負けに不思議はなく、必然がある。そこにドラマが生まれ、悲劇があるのだ。
 この映画は、巨大津波の襲来と戦う男たちのドラマで、男たちの決意と決断、熱い友情の信頼が描き、そして、無能なトップからの理不尽な命令と現場に挟まれた中級指揮官の苦悩も描かれる。
 これはもう完全に戦争映画の要素であり、リアルで迫力のある映像と、緊張感のある演出により、サスペンスフルなエンターテイメントとしている。
 この映画、これをエンターテイメントとして純粋に楽しめればいいのだが……さすがにこれは面白がる事の難しい題材だ。
 むしろ、忘れてはいけない事実を描くと言う価値を感じてしまったりもするのだが、そうなると日本映画の悪癖である、いらぬ忖度が気になってしまう。
 この映画では、福島第一原発の所長・吉田昌郎のみが実名なのだが、他の登場人物は現実の人物をモデルにした架空の人物か、名前が変えられているし、政府の人間は役職名のみで、氏名さえ設定されていない。電力会社も、東都電力と言う架空の会社で、東京電力ではないのだ。
 実名で出せるのは故人となった吉田昌郎のみ、生きている人は映画に出せない、と言うのはいささか弱腰に感じ、存命の元・政府高官だって映画に出してしまう、ハリウッドとの差を感じさせる事にもなっている。
 (尚、「太陽の蓋」では、当時の総理大臣の菅直人始め官邸の主要人物を実名で出しているので邦画でもやれば出来ない事はない)
 また、映画タイトルにもなったFukushima50(原発内に最後まで残った人々)を主役にする為、東電本社や政府関係者など在京の人々を殊更に無能に描き、時に事実を曲げてまで、在京の人々を“敵”とする脚色も安易と思えてしまった――そこまでヒロイックに描かなくとも、電源喪失した原発に踏み留まっていただけでも充分以上に英雄的だろうに……
 また、米軍の描写も中途半端で、「トモダチ作戦」も卑小化されているのも気になった所だ。

 渡辺謙と佐藤浩市の名優共演のドラマには見応えがあり、リアルな描写にも高い満足度が得られるだけに、後生に、あの時、そこで何が起きていたのかを事実に基づき描くものとして欲しかった、と言うのは贅沢な願いだろうか。
 映画としてはよく出来ていただけに、そうした部分で、邦画を超えるものを見せて欲しかったと思う。
 
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