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2021年02月25日10:05

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高校の後は…ATG『サード』ネタバレアリ。

何度か、話題にしたATG映画『サード』ですが…
この間、別の角度からまざまざと見ました。

この映画は、少年院に収容されている少年の日常と、彼の回想を描いたものですが、
ラストシーンに向かって、主人公の夢想のシーンが写されます。
息苦しい音楽とともにギラギラと光る海岸が映り、主人公の永島敏行が、ひたすら走ります。いかにもATG的なカットですが、浴衣姿の少女が歩いていて、足首のところに月経の血が流れています。少女の顔は見えません。
同じ少年院に収容されていた実家が裕福な少年が自殺をする、その首を吊った姿が写り、永島は「アイツとは別の方向に走る」と独白する。

そのシーンの前に、同じ少年院に収容されている非行グループの仲間の男から、ある人間関係のトラブルへの加勢を求められるが、断るというシーンと、非行グループの仲間の女が少年院にやってきて、自分に恋人ができ、田舎町で暮らす決心がついたこと、もう一人の女、永島の好きだった「新聞部」(森下愛子)が嫁に行ったと話す。「裏切りやがったな。新聞部」
…この四人組の非行は、そもそもが、大都会にでるという資金稼ぎのためのものでした。

これこそ、青春です。
青春のキーワードは「裏切り」です。別離と言ってもいいですが、「裏切り」(もちろん背景には相手への過剰な期待がある。しかし、自分とは別の存在になっていくと、裏切られたと感じてしまう。後には、散り散りになった人間がポツンポツンと存在するだけです。)
永島が独房の中でダイアモンドを回る夢は、「ホームベースがない!」と叫ぶ有名なシーンがあります。大学生のころ、その、わざとらしさと臭さに失笑した私は、失笑できるという点で、とても幸せ者でした。
青春は、これほど残虐であり、展望がないものだと今になって思います。

チェーザレ=パヴェ―セは、青春について、「それが終わったら、坂道を転げ落ちるように落ちていくしかない」ものだと言っています。

ただ、『サード』のような映画をみると、青春とは人によっては、単に転げ落ちる前の段階ではなく、「死刑執行に怯えながら暮らすという面もあったと思います。
私とは別の、ほとんどが就職した高校に通った人もそうでした。美しくいられる時代は、もう数年しかないと思い詰める。だからこそ、女の子は、果てしなく美しくしていました。パヴェーゼ『美しい夏』のように。

…青春から旅だった人は、あるときに、記憶喪失の状態になる。生活の苦労があったわけでもないでしょうが、展望を考えることにより傷つく、その傷を癒す真空のような時期が必要だと思います。
「生活費のためにまじめに働く」「小さな恋に満足して恋人のところに嫁に行く」…
将来のことを予想する鬱陶しさと、鬱陶しい母の弁当は近いものがあります。その鬱陶しさを完全に祓わないと次のステップは踏めません。

就職してもできないことはないでしょうが、
大学生という恵まれた環境、特に、都会の独り暮らしは、『十八歳、海へ』(森下愛子。ただし、予備校生の設定)ではありませんが、鬱陶しさを払う絶好の社会的立場でした。

そう考えると、政府のコロナ政策の失敗により、大学生がキャンパスに入れないのは、大変、気の毒なことです。



母から贈られた『卒弁証書』に涙 毎朝作り続け6年間「お弁当を通して娘と繋がっている気がしていた」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6424619
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