工藤会のトップが、死刑になろうが獄死しようが、そのこと自体はどうでもいい。
決して、かわいそうとは思わないが、(ただし、私は、死刑反対)
裁判としてどうだろう。
直接の証拠がない。伝聞の積み重ねでは、いつ何時、自分も死刑にされるかわからない。
人には、認知の歪みというものがあります。
最近、実際に、
「見ていないものを見たと思い込む」
「自分の作ったウソを信じ込む」
「自分が知っていることがすべてだ、最高だと思う」
「言われたことを逆にとらえる」
「人により、いうことが違う。それも二枚舌というような、生易しいものではなく、Aに対するときとBに対するときが違う人格になる」
という、トンデもない人が増えていると思います。
だから、目撃証言などの信用性は、二十世紀初めの理論を見直すべきときが来ているでしょう。宇都宮事件などで、尊属と卑属の関係が見直されたように。
また、主犯と従犯の関係も見直す必要があります。
手榴弾で、暴力団反対運動のメンバーが経営していたクラブを襲った工藤会の組員ですが、実行犯や実行犯を助けた従犯(手榴弾を運んだ奴や、逃走用の車両を準備した奴)を重く罰し、下っ端でも知っていながら協力した者は二十年くらいにする、知らなくて手榴弾の調達だけやったやつも十年くらいにすると、
実行犯や従犯を厳罰化すれば、子分や手下というものがいなくなります。
そういえば、田舎に、元山口組の四次団体の組長だった人がいました。
建設関係の下請け企業の経営者で、紳士であり、リーダーの心得や予算の獲得方法、全く知らない人に対する交渉方法などを教えてくれて、高校生に人気がありました。
(生徒会の役員は、業者に足場を組んでもらったり…ということがあります。その資材が紛失するなどという、平凡ですが困った事件も起きました。新潟県立長岡高校、)
そういう、足を洗い、人生を全うしつつある人がいるから、
「少しぐらいなら、グレても大丈夫だ」
と青少年が思うのではないでしょうか。
それでは、ダメ。二十代のチンピラが従犯的な仕事をしても、数十年。下手をすれば無期、という常識を社会が共有しないと。
現に、暴力団ではありませんが、
市川四人殺し
の元死刑囚は、「自分は、未成年だから絶対に死刑にならない」と思い込み、留置場で出所後のために学習参考書を読んで勉強していたそうです。
「工藤会」トップに死刑求刑
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6376807
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