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2021年01月06日10:51

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隠喩としてのコロナ

父親が重病で死にそうな人が、某県に帰省しました。
病床の父親を見舞うため、わざわざPCR検査を自費で受けたのですが、面会はお断り。
「本県に帰省して二週間を経過したら、面会できる」と言われたそうです。

死に目に会えないとがっかりしていました。
もちろん、社会人であって東京の仕事を放り出して、二週間そちらに滞在できる人などいません。
テレビで、帰省した人の家に「早く帰れ」という投文があるというニュースがあります。私も日記に書いたことがありますが、なかなか、教養がありそうな書体。それが、教養ある主婦から、病院という専門家まで拡がった感があります。

人権侵害以外の何ものでもありませんが、そんな当たり前のことを言っても仕方がないです。

むしろ、コロナが隠喩しているもの、コロナに隠喩として押し付けられつつあるものが問題だと思います。
この日記のタイトルからピンと来た人は多いでしょうが、
スーザン=ソンタグに『隠喩としての病い』という本があります。

スーザン=ソンタグは、病気そのものというよりも、病気にまとわりついている隠喩的なイメージこそが問題だとしています。

たとえば、結核 → 安楽な死+死の美化 (ローマン主義的な、自我を売り出そうという策謀。)
ハハ〜ン。だからこそ、堀辰雄作品のような、教養がある美男子や美女で占められたサナトリウムが文学空間上に突如出現すると。なるほど。

ちなみに、文学作品とは、自分の欲望です。
芥川賞を取る日を夢見て、書きたくないテーマをいやいやながら書いているのではなく、書きたいテーマだからこそ書いているのでしょう。
差別主義者がよると触ると「アイツは朝鮮人だ」などと、別に朝鮮人だろうが中国人だろうが何でも、少なくとも私は、どうでもいいですが、そういう空想を話しているのと同じです。結核の場合は、ローマン主義的な我欲でしょう。都市の塵埃を離れ、美しい世界を完成させたいという。

コロナの場合、
病気そのものではなく、病気にまとわりついてくる隠喩は、「孤独」だと思います。
ただし、「孤独」は、「内面の充実」と「排除」の二通りの意味があります。

どう転ぶか…
人が「内面の充実」を欲しているから、コロナに一人になることの充実のイメージを印付けるか、それとも…
医学以上に個人の力が及ぶ範囲が小さいものですが、心配して見守りたいと思います。


■神奈川県、手術の1カ月延期を要請 コロナ対応の病院に
(朝日新聞デジタル - 01月05日 20:36)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6367386

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