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2020年09月20日10:57

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疲労の日々

コロナでも、基礎シリーズ(一学期)の給与が出たのはいいですが、怠け癖が付いたとはこのことです。まだ三週目が終わったところなのに、へばっています。

とにかく、眠い。
帰宅すると寝てしまうこともあります。髪の毛の伸びも早く、三週間で床屋に行きました。雑談を床屋さんとしました。
昔から、床屋談義といいますが、情報網として重宝しています。たとえば、豊島区の休日診療が文京区寄りの保健所になって、通える距離になった。千駄木辺りまで行くよりそっちを利用した方がいいの、音羽通りの角の中華がつぶれたの、その近くの新しく出来た焼き鳥屋は勘定が高いのと。
今回のお話は、床屋さんに行く間隔ですが、一番短い人で一週間らしいです。それも、営業など特殊な稼業ではなく、作業服を着てくる人で、特におしゃれというわけでもないそうです。

こういうことを耳にするたびに、自分のことは自分で決めていい…と、いまさらながら思います。
たとえば、北村透谷は遊郭に住んだといいます。そういう人は多く、遊郭から帝大に通ったなどという信じがたい話があります。
買春ですから、もちろん、いい話ではありません。
ところが、そういうことをした人は、人の意見や世間の目というものから全く自由であったということも言えます。

しかも、その反動や反省から有為の人物になったかというと…透谷の場合はクリスチャン、しかもクエーカーと近縁ですから反動や反省があったかもしれませんが、特にそういうことも言えません。

人間は、理由があって生きるのではなく、ただ、わけもなくブラブラと生きるものだと思います。

行為もそうです。
ただ、わけもなく、何かに打ち込むと。そう考えると、仕事は営みではなく、仮面が演じているものでしょう。

仮面は、近年の構造主義小説論でもっとも近い言葉を探すと、内包された作者/内包された読者 ということになると思います。

江戸川乱歩『孤島の鬼』は、箕浦という、自分に近づいてくるホモの男性を利用しようとする美貌の青年が語り手です。大乱歩と崇められ、生活できない仲間にひそかに援助し、才能がある若い推理作家志望の青年のデビューの機会を与えた、大立者と正反対です。箕浦は作品に「内包された作者」です。

また、展開にハラハラドキドキする私は、現実の私とは無関係です。このハラハラドキドキする私こそ「内包された読者」です。

この両者のやり取りが、仕事。あるいは社会的な営み。
だからこそ、近大の熱傷センターの若い女性看護師は、京アニの青葉に優しくして、感動させたわけです。
それを、ある若い女性は、「本音ではないなんて、寂しい」と言いました。しかし、青葉を気遣うのは、別の位相の本音です。真相の若い女性看護師は、ジャニーズジュニアの追っかけかもしれません。しかし、職務に徹した彼女は、観音様です。

仕事や社会的行為は明らかに、本当の自分と違う位相にあります。
しかし、本当の自分と混同するから、
ただブラブラ生きている
という自分の本当の姿に気が付けないのかもしれませんね。

これも近代の病でしょうか。
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