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2020年04月03日08:16

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極私的志村けん論 特選

ご冥福を心からお祈りいたします。

志村さんについて書こうか迷っていた理由は、二つあります。
「親が低俗番組として、テレビを見せてくれなかった」
だから、志村けんとドリフターズのことは、無知だという理由と。
「結論が出ない」
だから、書きにくいという理由と。

私が一番びっくりしたのは、『東村山音頭』の大ヒットです。
1975年にもなって、あんなのが流行るとは…
小学の修学旅行のときに、級長に踊らせようということになって、今は田舎でお父さんの後を継いで院長をやっているY君が、真っ赤になって踊っていました。勉強しかしなくて、貴婦人のようなお母さんとフランス人形のような妹さんと洋館で暮らす彼も、踊れるんだ…と衝撃を受けました。

今回、志村けんの逝去を機会に、youtubeで見直してみました。
あれは、民謡です。しかも、佐渡おけさのような、もともと泥臭かった民謡をスッキリさせたものではなく、自治体が歌謡曲の作曲家に委嘱して作った、盆踊りのときにアンプで流すヤツです。普遍的な価値など、絶対にありません。

ところが、何か微妙なものが違うんですね。若いころの志村の何を考えているかわかんないような顔と振り付けが、曲に引き込ませます。
この歌の魅力は、言葉では決して説明がつきません。

「欽ちゃんのどこまでやるの」という番組が、若原一郎の「おーい中村君」に肩入れして、なんだかわかりませんが毎回番組で流すということをしましたが、ブームにはなりませんでした。

ところで、私は文学研究者であり、教育者です。
何だ、突然何を言い出すのだ…と思うかもしれませんが、
読書について、
○ 啓発するべきだ。
という趣旨のことは語っていますが、
特に現在、「名作」とされている文芸作品や、西洋哲学書について、
× 価値があるから、面白いから読ませるべきだ。
とは、言っていません。
ここが、私のようなごく一握りしかいない「普通」の教育者研究者と、今すぐ辞表を出した方がいい、クルクルパ〜との大きな違いです。

彼らクルクルパ〜が啓発しようと躍起になっているには、浪花節。
バカバカしい。
「みんなで話し合って」とか、「生きる意味を考えて」も同じ。浪花節の一バージョンに過ぎません。
『ごんぎつね』的世界に感動しろと押し付ける教師からは、下手すると刺される人が出るでしょう。

下品ですから私は個人的にあまり好きではありませんが、志村けんの芸は、ちょっと考えても正体がつかめないという意味で、はるかに深いからです。
一秒で理解できる『ごんきつね』と、どちらが深いかは、明白です。

「カラスの勝手でしょ〜」が出たとき、PTAが有害だと騒いだといいます。二番に置かれた、「ゾウさん、ゾウさん、お鼻は長いのね。そうよ、チン○ンも長いのよ〜」を有害だというのならわかりますが、
明らかに100%志村けんの勝ち。時が流れれば流れるほど、PTAがおかしいことがハッキリします。

大学院生のころ、小森陽一(ぼくは東大卒ではありません)が、
「カラス、なぜ泣くの〜 と理由を考えればならないところが、自然主義だ。それこそ、カラスの勝手だ」といいました。小森さんは文学の潮流についていったのでしょうが、別の観点からすると、価値で物事を決めてしまう、非人間的な現代というものを思わせます。
「カラスは子どもが可愛いから鳴く。よし。」という傲慢な態度です。そのままで存在意義を認めない、あるいは、俺様が意義を決めてやるというとてつもない態度です。
やまゆり園の惨殺と同じではないですか。
おまけに、「七つの子」をかわいがる気持ちを、ほめたたえなければならないという…

PTA のPは親。Tは教師ですが、パ〜と、トンマと言っても足りないくらいです。
彼らはそれほど、徹底的なバカです。

以上は、
感じたことを書いたまでです。コメディには興味がありませんから、それ以上のことはわかりません。上に書いたことも、志村さんご本人の意向や狙いではない偶然の一致かもしれませんし、別の解釈があるかもしれませんが。

もう一度、
ご冥福を心からお祈りいたします。



志村さん特番 4000万人が視聴
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6032106
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