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2020年01月18日11:03

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しまパトの愉悦。遊びの自己言及性。

ファッションは、遊びと実用とブランドです。

この三つに深くかかわるから、我々は、場合によっては結構な金額を払ったり、苦労して探したりして服を買います。
しまむら にもユニクロにも、ブランド性は関係がないですし、また、どうですかね。
関係ない話ですが、
シャネルやエルメスなどが好きな人で、キャバ嬢やホストの格好にみれない、決まる人というのは、非常に珍しいと思います。

かつてのしまむらには、明らかに純化された遊びがありました。

遊びとは何でしょうか。
ホイジンガの高邁な定義よりも、
ロジェ=カイヨワの
1. 自由意思にもとづいておこなわれる。
2. 他の行為から空間的にも時間的にも隔離されている。
3. 結果がどうなるか未確定である。
4. 非生産的である。
5. ルールが存在する。
6. 生活上どうしてもそれがなければならないとは考えられていない。
の六つの定義の方が、現実的です。

これに当てはめると、大学生の就職のスーツや白いカッターシャツは、遊びではありません。6に反するからです。

また、ラルフローレンのような、着ていく場所が限られるアイテムも遊びとは言い難いです(たとえ、クマさんの大きな刺繍があるタイを締めても、これこれの雰囲気のバーにこういう女の子と行く…などという、特定のコンテクストに絡めとられるので、2に反するから。また、周りからラルフローレンだとみられるので、すてきだと思われようが、顰蹙を買おうが、3に反しているとも言えます。)

すると、かつてのしまむらで、たまにみられた、「どこが作っているんだろう?」「こんなの、誰が着るんだろう?」
というアイテムこそ、遊びです。

前、勤めていた予備校で、浪人生女子が、白っぽい防寒ジャンバーのようなものを着ていました。フードがついていて、うさぎの頭になっています。

耳が長く伸びていて、被ると、長い耳がピンと立つそうです。だから、恥ずかしくて被れないそうですが、
「どこで、買ったの?」と聞いて、
「しまむらです」という答えが返ってきて、みんなで爆笑しました。

遊びが遊びですという札を掲げて登場するという遊びの自己言及性は、上の2や6の定義そのものです。
うさぎちゃんです。だって、しまむらですから。
それを、ディズニーランドや自由が丘のケーキ店、男の子とのデートではなく、予備校に着てくるところが、ますます、遊びです。

実用的、現実的なことと一切つながらないからです。
たとえば、
相撲に勝ったら、神が喜び本当に米が多く取れるなら、相撲は遊戯ではなくなります。もはや、ビジネスになってしまいます。

スポーツのアマチュアとプロにこだわる人がいますが、結局は、遊びかそうでないか…ということではないでしょうか。
金をもらうから、汚い…という話ではありません。給料をもらわない白衣の天使や金八先生はいません。そして、彼らは金と引き換えだから汚いかというとそうではありません。

しまパトをして、とんでもないものを発見する…この感覚が面白かったです。地味なおばちゃんだけではなく、ギャルさえも注目した楽しい空間だったのですが。

復活を期待したいです。

■しまむら、店舗レイアウト変更失敗で底なしの客離れ…ユニクロはヒット不在でも増収の無敵
(Business Journal - 01月17日 06:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=5938604
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