昨日、一日、空きましたので、シラバスを完成させました。
最終的には、
個人と個人とが話をしているように思うが、個人の中に内包された公的人格同士が話をしている。ということを、大学生に理解させたいですね。国語の文法がどうしたというより、ここが最も重大です。
わかりやすいのは、恋人。
これ以上ない、プライベートな関係でありながら、自分に内包された「彼氏」が、相手と直接話をしようとするが、相手から「彼女」が立ち上がってしまう。
内包された公的人格以上のところにたどり着こうとする旅が、恋愛のコミュニケーションだと言えるかもしれないと。
しかし、内包された公的人格は、自分を守るもの。
だからこそ、手紙の季節の挨拶ではないが、あらゆる言語表現にはフォーマットがある…という話をする予定です。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68498
これが、京アニ犯人の青葉の感想。
青葉も、
たとえば、医師、看護師…といった、内包された公的人格が自分にやさしくしてくれたとわかっていると思います。
だから、医師 山田健太 看護師 佐藤真美 が、医師や看護師でないとしたら、自分にやさしくしないだろうとも。
しかし、内包された公的人格が、自分を愛するということは、医療だけではなく、広くみられること。
ウソでも、偽りでもありません。
だから、立場から発した優しさも優しさであり、青葉は感激したのでしょう。
青葉は、それさえも得られない環境で生きていたといえます。
…体育会の監督が選手に冷たくする、木っ端役人のクセにお巡りが威張る、単なるババアが新参者の町内会会員に妙に頭が高い、タワーに住んでいる自称「セレブ」が、地域住民を見下げる…
こういうことが積み重なって、悪意が形成されます。
それに抵抗する、軽い気持ちの自然な優しさが、類似の事件を防ぎます。
くだらない差別心や、外見だけで判断する(つまり何かを排除する)心こそが、自然な優しさの発露を妨げます。
その意味で、おとといの大物名誉教授のおっしゃっていたことは、つくづくその通りだと思いました。
この先生とは、
汚れた作業着を着た鉢巻締めたおっちゃんが、煮込みつついているような店にもいきます。
しかし、そういう場は自然であり、肩書などに一切関係がない場所です。だから自然に周囲と話します。先生も口が裂けても「客層が悪い」とはおっしゃらないのですが…
澄ました高級すし割烹で、「客層が悪い」とおっしゃったのは痛快でした。
「機械」(パソコン本体)に「電線」(LANケーブル)をつないで、「電電公社」(OCN)の「合言葉みたいなもの」(パスワード)を設定した甲斐がありました(笑)
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