有名な慶應の幼稚舎の問題。
路線バスを真横から描いた図をみせて、「このバス、どっちに動くか」
解法はいいませんが、こどもはこういうものが分かります。
ある幼稚園で採集された言葉
「正座しすぎて、足がコーラになった」
「痺れた」よりも百倍素晴らしい。
と考えると、解釈はほどほどに、子どもの言葉や発想や幻想はそのまま受け止める必要があるとわかります。
我が家の子どもも、四歳の時に「私は小さいころ、お金が欲しかったが、今は欲しくない」という不気味なことを言ったことがあります。どう解釈しても、全部外れそうです。
家出した母が戻ってくると、蝶々の絵で暗示した子どもの話を読んだことがあります。
子どもはシャーマンでもあり、異界にほど近い存在なのでしょう。特に女の子はそうです。
女の子が結婚して、霊能力を失うという話がありますが、多く見られるこの話は、性の問題ではなく、常識的な路線を歩むと大きな能力を捨てることになる…という話のはずです。
だから、私も本当にわからないこと「永夜清宵」という『快庵的傳大中寺禪室内秘書』の言葉は、何を意味しているか…について、無駄だとわかっていても、ヨチヨチだった子どもに聞きました。
案の定無駄でしたが、駒沢の総長に聞くよりましだ…と思ってしまったのです。
子どもと戯れる面白さは、彼らの方が本質的に我々より深い…というところからきているのではないでしょうか。
子どもと仲良くなれても、子どもがいい学校に行っても、それだけではつまらなすぎます。
第一、この本は、子どものための本ではなく、
親が楽をしたいための本でしょう。
増える児童向け“トリセツ本”、現代の女子小学生が抱える1番の悩みは「人間関係」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=5827567
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