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2019年02月22日09:30

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これは、怒って当然ですが。。禅の知恵は荒唐無稽なものではありません。

禅宗という宗派はありません。
(後半は、わかりやすい話になりますので、おつきあいください)

ただ、同時に思うのは、地歴公民は何をしているのかということです。
教科書で曹洞宗と黄檗宗とが同一視されてしまったのは、教義が共通しているところが多いからです。

元々、今の禅宗は、六祖慧能(達磨から数えて六代目の方)の思想を中心にしたものです。
臨済宗は、栄西(ようさい)が、中國に留学してもたらしたものですが、道元の『正法眼蔵』も読まれています。第一、『正法眼蔵』が尊敬している「僧正様」とは、栄西のことです。
(中國)臨済宗の『臨済録』などは、禅宗の共通する経典です。
黄檗宗の隠元は、高徳の禅僧ということで、中國から招かれた人です。
しかも、隠元自身は、自分は臨済宗だと言っております。

禅宗各派には、教外別伝という口伝のような集積があり、その集積には素晴らしいものがあります。

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私が『快庵的傳大中寺禪室内秘書』(曹洞宗快庵派)という教外別伝を読み、いろいろと感銘を受けましたが、
たとえば、
幸福を願うと不幸の影が(精神に)付きまとって来る
という内容を読み、驚きました。

そうですね。
精神の安定を願うと、不安に苛まれる。そもそも、安定を願わなければ(無になれば)不安などなくなるということで、これは当たっています。

応用すると、上昇志向のために、必死で努力した人は、どこかに、その陰画を作ってしまう。たとえば、歯を食いしばって出世のためにいい大学に合格した人は、イマイチの人を激しく見下げる。
その逆の姿として、努力した記憶がないが、勉強が好きで、天然自然に優秀だったから、東大などに入ってしまった。周りから「スゴイ」と言われるが、実感がない。という人もいます。

そういう、日本人らしい人生の知恵(というよりも、順番が逆で、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗が、日本人を日本人らしくしたのですが)というものを教える場がありません。

そのように、
Aさんがいて、Aさんが出世したからAさんは素晴らしい…といった考え方をとりませんから、
Aさんの暮らし全ての肯定になります。

そこで出てきたのは、異様に発達した食文化です。

『雨月物語』で著名な上田秋成は、禅の影響を強く受けた人で。煎茶についての著書があります。
『清風瑣言』という煎茶道の本を読むと、用具や水の解説など、実用一辺倒の内容です。京都のナントカ川から水を汲むなどということは、現代では出来っこないですから、実用書としては無効ですが、対象に埋没してそれだけで完結する。

これは、日本のよき職人道です。高度成長までのよき庶民の生き方です。感銘を受けました。

大豆の滋味に没頭すれば、

大豆 → 豆腐 → (揚げて煮て)飛龍頭…

ということになります。お金を稼ぎたいとか名を上げたいという動機から、このような洗練に至るのは厳しいでしょうね。

職人道と
日本的安心立命と、衣食住の高度な文化を作り上げた、内実について、せめて高校で教えるべきですね。



■臨済宗と曹洞宗「禅宗にしないで」 教科書5社に依頼
(朝日新聞デジタル - 02月21日 21:04)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5508373
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