ジャンルは、人文地理でしょうか社会学でしょうか。私は両ジャンルとも素人ですが、
モノの本には、ほぼ一貫して、
高台は住宅地、砂地は商業地と説いています。
高台には、城郭や寺院があります。小学校の教科書などには、「城下町」「門前町」などと説明されているようです。
商業地が砂地になるのは、低いところにあるから人が集まりやすいのでしょう。
六条河原は、付近に商人が集まり、人が集まるダウンタウンですから、御触れの高札を掲げたり、罪人を晒しものにしたりしていました。
商業は日本橋〜神田、罪人の処刑は小塚原、遊興は吉原と分けたのは、近世以降です。
確かに人が集まるといっても、目的が違いますからね。江戸は非常に計画的な都市であり、自然を人為に変えたという側面があります。
乾いた砂地は商業地に、湿った砂地や乾湿が激しく変化する砂地は遊郭にと。
考えてみれば、水が深層心理に及ぼす影響ですね。
乾くと見繕いをしたり、なんだかキチンとしたくなります。
雨がしとしと降ると、母親に抱かれたような気分になります。遊郭に通う男の心理はそんなものだったのでしょう。
そういう悪を、完全ではないとしても制度上滅ぼしたのは、ごく最近です。
それどころか、自分の生まれた最近の時代に、男女の給与が違っていたとは…
良い時代になったとつくづく思います。
そういうことが出来たのも、中国の都市計画書が江戸時代に入っていたからです。
化政時代の版本を持ってますが、面白いですね。
大島てるのサイトと合致しています。
たとえば、路に挟まれた三角の土地は、変死者が多いなど。
高台に人が住むのは、寺や城のせいだけではありません。風と水がいいからです。
(実は、カーテンの色が云々という「風水」はインチキ。本来の風水とは、都市計画のことです。)
台風になると、水と風は丘の下に吹き溜ります。
丘の頂上は直撃を受けますから、頂上からやや中腹よりのところがいいそうです。
私の住んでいる地域でいうと、飯田橋よりのところに、数学のロバチェフスキー空間のようななだらかに窪んだ土地があります。そこはさすがに、印刷工場などが並んでいます。
昔の人は、住宅地の質が分かっていました。
今の豊洲などは、どうでしょうかね。
豊洲とは性質が違いますが、
以前、億ションが盛んにつくられた音羽は、
台風が来ると川のようになります。
■東京都内も記録的な暴風の恐れ
(日本気象協会 - 09月30日 08:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=174&from=diary&id=5310726
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