いつから日本人が国語力を失ったか…
バブルのころ、「一切」をイッセツと読む人が出てきた。
(これはなぜか、その後、回復する)
2014年ごろから因果関係に弱くなった。
本文を勝手にバラバラにして読むようになった。
などの案外、きめ細やかなテクスチァがあります。
原因も多様です。
確かに、ゲームが広まり読書の量が減ったということもあります。
減った中でそれでも本を読んでいるのですから、何に関心を持つかという関心の対象の変化も大きな影響をあたえているのではないでしょうか。
「品」をホンと読むのは、仏教関係では定番です。
「庚申」は、東洋系の精神世界に興味をもった人は必ず遭遇する語彙です。読みは、辛亥革命の辛亥をシンガイと読むのと同様、日本人の基礎的な常識でしょう。十干十二支は、伝統的な分類法。これが読めないと、日本のことは何も知らないのと同じだと言ったら、言い過ぎですが。
いかに人々が目先のことしか考えられなくなったか、
佛教などの精神世界と、歴史に関心を抱かなくなったかを証明しているようなものです。
歴史というと、上杉謙信がどうしたの…というところに関心を抱きがちですが、
たとえば、『失敗の本質』という、二次大戦の日本軍を分析した本を読むと今の日本の行き詰まりが分かります。
クロスカルチャー何とかに悩まされて、日本的な体質に興味をもった人は、史書を読むことから再出発してしかるべきでしょうが。
佛教
残念ながら僧侶の質が落ちました。だから坊主(典型的には、臨済宗僧正ナンチャラ×海 花園大学教授)の書いた解説書には見るべきものが少ないですが、
『意識と本質』(井筒俊彦)は、勧められます。
そういう本を読まなくなり、ノウハウ書やビジネス書がはびこる現状を表していますね。
「軍畑」は難読です。
「九品仏」「庚申塚」よりも、「小山台」の方が難読ですね。「武蔵小山」があるから読みはわかりますが、オヤマと読みかねません。
「軍畑駅」これ読める?読めたらすごい東京の難読駅名ランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=5296718
実は行こうとたくらんでました。あまりにも暑かったので。しかし、もう温泉が恋しくなりました。忙しいし、大田区の黒湯あたりで妥協するしかないでしょうか(笑)
となると、友達と一緒になるのですよ。そうすると、もう一軒行こうとか…
記事中にある難読駅は、私は読めませんでした。
しかし地名という固有名詞を読めないことは、それほど批判に値することでしょうか。
地元の人には当たり前でも、遠くの人には読めない地名など山ほどあるのではないでしょうか。
それも知識や教養だと言われれば返す言葉もありませんが、キラキラネームを読めないのかと批判されてもやはり私は読めません。
「未曾有」や「云々」を読めないのとは、少しレベルが違う気もします(笑)
書き込みありがとうございます。
固有名詞の知識の有る無しや、学力という問題よりもむしろ、常識かと思います。
昭和ヒトケタのかたは、たとえ尋常小学校中退でも読める人が多いと思います。
まあ、それほど、日本についての基礎知識が衰退しています。
読めない人にどうのというより、
「難読」はないだろうと思います。