シンクロニティでしょうか。
ある学会誌の査読を突破し、同じ号に乘る人の論文をみたら、
私が研究している上田秋成と論争した本居宣長についてのものもあれば、
今、論文に引用をはかっている般若系の思想についての論文、
「…高神覚昇『般若心経講義』(昭和9年)の一節である。「般若心経」中の「諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減」を解説するくだりだが、「空」という言葉を振りかざしつつ、生死の区別に執着してはならない、国家のために潔く死ぬべしという説法が行われていたのである。」
という、仏教の戦争協力について書いた論文がでました。
旧知の某国立大学の哲学系の大学院教授です。
なるほど。
生に対する執着を消すということは、「死ね!」や、「死んでやる。」ということにはなりえません。
栄養に振り回されるなとは、いつも思うことですが、だからと言って毒を飲むべしとはなりません。
また、死は存在しません。
特攻機にのり敵艦に突っ込むのも、集団で練炭自殺をするのも、生の行為です。
…ところで、音沙汰がなかった兄弟が死んだと。
病院から連絡があり、一週間ほど有休を取り、50万くらい支払い、簡素な葬儀をやった。
どこが迷惑でしょうか。
従姉の子ども程度の続き柄でも、よろこんでやりますが。
仮に死病に罹っても、福祉に「公費で簡素な葬儀をお願いする。親戚には連絡するな。お骨は無縁佛にしてくれ。」と頼むことも可能だと思います。詳しくは知りませんが。
■身元不明の自殺「縁切り死」、クロ現の特集に反響 「いなくなっても誰も困らないから、せめて消える時はひっそり消えたい」
(キャリコネ - 09月21日 06:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5298429
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