前にも述べたことですので、
簡単に論点を整理したいと思います。
1 世間の佛の大半は、無縁佛。
(曾祖父母の名を全部言える人がいないように、曾祖父母の墓のありかを全て言える人はいない)
2 先祖供養の経典上の根拠はない。
3 お盆はむしろ、土着信仰の産物である。
柳田国男『明治大正史 世相編』
4 僧侶の世襲制は、おかしい。
駒沢大佛教学部は、漢文が出題されません。家が寺だからといって、漢文も読めないのが大学に入ります。こういうのに読経されるわけです。私は、御免ですね。
5 同じ宗派が助け合わないのはおかしい。
…私のところに、住職にならないかという話が来たことがあります。檀家の数が少なく、子どもがいないそうです。今の寺は、一軒一軒が、宗教法人です。同じ宗派でもぼろ儲けしているところはありますが、そういう寺が潰れる寸前の寺を助けないのは、おかしいです。
6 信者の教導の任務を果たしていない。
これでは新興宗教がはびこるのも当然です。
…ということですから、葬式佛教が行き詰まるのは、当然です。
問題は、文化財です。
『雨月物語』「吉備津の釜」に、廃れた阿弥陀堂が出てきます。
こういう佛は、捨てられるか、古美術商に売られます。
中には、古美術商の店先で、「オイ!」と仏さまが声をかけ、元の寺に収まったという話もあります。
文献も問題です。
私が大変感銘を受けた、『快庵的傳大中寺禪室内秘書』は、京都の古書店で発掘されました。教外別伝ですから、その一冊しかないという秘伝書が多くあります。
『快庵的傳大中寺禪室内秘書』は、『正法眼蔵』と比肩する書物です。残念ながら現代語訳がありませんが、人生の真理が書かれています。
大中寺さんには申し訳ありませんが、今なお、栄えている大中寺さんから、流失して行方不明寸前になったという訳です。
そういう書物が、廃寺を探せば、山のように存在するはずです。
テーマを絞った座談会である以上、仕方がないかもしれませんが、
このサイトは、商売としての住職業の話しか出てきません。
違和感があります。
廃寺対策こそ、いま必要なことです。
本尊は、魂を抜くか、本山に安置する。
文献は、
公益財団法人 無窮會
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%AA%AE%E4%BC%9A
など、しかるべきところに、廃寺の財産整理で得た金の一部を管理費として付けて、寄贈する。
過去帳は、同和問題とも絡むので、宗派単位で構わないからルールを作って保存する。
こういうことを行うべきです。
もしも、私にスカウトが来た廃寺寸善の寺があったら、同じ宗派の寺は、手を貸して後始末をするべきです。
もちろん、もっとも責任があるのは、上納金を貰っている本山ですね。
■“アパマン坊主”で「お坊さん離れ」加速? 住職たちが明かした業界の問題点
(AERA dot. - 08月17日 16:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5248513
ログインしてコメントを確認・投稿する