その方はウイリアムと名乗り、帰りの飛行機が一緒の便でしたのでビジネス席に招待してくださいました。
帰りの飛行機で、私は夢を見ました。
時代は100年ほど前、日本の英会話教室で出会った事
私と彼がお互いに女性で仲が良かった事
私が日本を懐かしいのは、過去世で日本人として生きた自分がいたからなのだとわかり、
彼はご縁がある人なのだとわかりました。
その後私たちは結婚し、ラスベガスで暮らします。
ラスベガスでは感染者を隔離するホテルとクリニックを併用した施設を経営していました。
100年前のパンデミックは収束するのですが、感染症が無くなったわけではありません。人々はウイルスと共存する社会を作り上げました。
ラスベガスではベネティアの仮面舞踏会のようなマスクが流行しています。
ソーシャルディスタンスは日常化し、カジノやショーは接触を最低限に抑えた環境で楽しむことができます。
夫は医師でありながら漢方に興味を持ち日本に野草園を作っています。
和食の良さを研究して病院食に生かしています。
私は子育てをしながら、臨床心理士としてカウンセリングやストレスの解消に勤しんでいました。
10年ほどラスベガスで財をなした後、サンフランシスコ州立病院の買収話が持ち上がり、私たちは理想の病院経営を求めて移動することになりました。
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