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2023年12月12日00:00

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【やや長文】“亡霊”とどう付き合っていくか 〜Kalafina、そしてWake Up, Girls!に手向ける

※前置き
このテキストは、Wake Up, Girls! Advent Calendar 2023に参加しています。
ぶっちゃけ9割5分は梶浦由記とKalafinaについての内容ですが、
解散しながら一同に会するチャンスが今までないユニット、
その期間がおおよそ5年という共通点があります。
※Kalafinaとしての3人同時の最後の活動は2018/3/30の映画舞台挨拶
 Wake Up, Girls! としての7人同時の最後の活動は2019/3/8のFINALライブ
※なお敬称については、頻出するため「梶浦さん」としておりますが、
 その他の方については、自分の文章の性格上省かせて頂いています。

どうも、ホテル野猿です。
最近めっきりテキストを書くことをサボっていましたが、
先日、梶浦由記30周年記念ライブ『Kaji Fes.2023』を観覧し、
この気持ちは書き残しておかなくては…的な意欲が消えないうちに書いておきます。

全体的なライブの感想はさておき、以降なるべくテーマに沿う形で、
梶浦さんのことを知らない人向けに解説を加えながら綴っていきます。

2日目には、歌姫(という呼称を梶浦さんは用いる)にレギュラーのKeiko、
そしてゲストとしてHikaruを呼ぶということもあり、
これは間違いなくKalafina曲を歌うだろうという確信がありました。

※前置きで言うと、梶浦さん主催のライブ『YK Live』において
以前はオリジナルボーカルでない演奏はしていなかったと思いますが、
2014年のvol. #11においてSee-Sawの楽曲をカバーし、
その時のトークでカバーに前向きになった言葉があったことを記憶しています。
その後Kalafina解散後はしばらく3人の動向が流動的で様子見状態でしたが、
Hikaruがゲスト参加した2021/6/26以降、Kalafina曲をカバーするようになりました。
なお、3人それぞれがソロになってからのKalafina曲歌唱としては、
Wakanaはライブで歌っているものの、KeikoとHikaruはソロでは歌っていない、かも?

さて、実際に今回の『Kaji Fes.2023』でのKalafina曲は、5曲の演奏でした。
Magia、storia、君の銀の庭、to the beginning、そして本編ラストのinto the world。
タイアップで言うと、まどマギ2曲、ヒストリア2曲、fate/Zero1曲。
まずこの選曲に、梶浦さんの深謀遠慮を感じることが出来る。
まどマギはもちろん2024年に劇場版新作を控えていることもあるが、
その作品と楽曲のテーマ性、つまり人間の本性の部分と、深遠な心象世界。
願いと引き換えに契約を唆す、キュウべえの姿が目に浮かぶようだ。
(ついでに言うと、fateにおいても英霊との契約というシステムをとっている)
そして歴史秘話ヒストリア。梶浦さんも大好きな番組と公言しているが、
Kalafinaの人気を一般層にも押し広げたタイアップとして知られる。
番組の内容として、事実的事象の裏に潜む、歴史的人物の心情にも迫るものだが、
武道館に居合わせた出演者、そしてスタッフや観客にも、
それぞれのヒストリアがあることを、楽曲を通じて今一度訴えかけるものだった。
(なお、Kalafina結成のきっかけともなった空の境界のタイアップ楽曲については、
 今回はセットリストに加わらず。これもまた梶浦さんの深謀遠慮なのか、
 それとも、単純にその時でないのか、他のラインナップとの兼ね合いなのか)

自分がそこからさらに汲み取ったものを、2点に絞って挙げる。
まずは、fictionJunctionのレギュラー歌姫として、Wakanaに代わって加入した、
Joelleというシンガーが、どのようにKalafina曲を咀嚼したかだ。
彼女はSound Horizonの楽曲にも参加するなど、実力は折り紙付きだが、
自分が特性として感服したのは、柔軟性に富んだ表現力だ。
自分の耳が腐っていなければ、「君の銀の庭」においては、
Wakanaの滑らかかつ繊細な歌声に、寄り添うような歌唱だったのだが、
その次の「to the beginning」は異なり、波打つような激しい側面を感じた。
「into the world」に関しては、5人によるパート分けになったこともあり、
活動終了後5年半を経た今だからこそ、新たな解釈をもたらす演奏だった。
(さらに言うと、この曲は梶浦さんもマイルストーンと評した
 最新アルバムのリード曲「Parade」との連続性を強く感じさせる。)
これらの歌唱のアレンジメントは、梶浦さんのディレクションというより、Joelleの判断だと推察する。
後述するが、彼女もまた"亡霊"に対峙した1人として、そうしたのではないか、と。

そして続いてもう1点は、以前にも書いたテキストで触れたのだが、
梶浦楽曲における歌詞にしばしば出てくる、「水」に強い意味を感じる。
水は雨雲から降り注ぎ、やがて一筋の川となり、海へと流れゆく。
私たちはそれを当たり前のように感じているが、決してそんなことはなく、
水量も多寡があるだろうし、ともすれば塞き止められ、違う流れになることもある。
(くどいかもしれませんが、これは暗喩です、察して)
そのことに狼狽えることもあるだろうが、一つ言えるのは、
やがて海へと届く、ということだ(と、同名小説・映画のリスペクト)。
万物は流転する、諸行無常、等々、哲学や宗教はその真理を的確に捉えている。
過去の栄光に囚われてしまうのは、人として仕方がないかもしれないが、
あまりにペシミスティックであっては、今の姿の美しさを見損ねることになるだろう。
奇しくも(Kalafinaの現状ラストライブと)同じ武道館というステージで、
梶浦楽団それぞれが、今持てる最高のパフォーマンスをもって、
今だからこそ見せられる、それぞれの楽曲の美しさを表現し得たのだ。

さらに踏み込んで、前述した宗教的(仏教)の話をもう少し広げさせて頂きたい、
仏道を歩む者がするべき6つの行いの中に、他人のためにする布施という行為がある。
その布施にも3つがあり、財施(お金)、法施(仏教を説くこと)、そして無畏施がある。
この無畏施とは、他人から不安を取り除くことを指している。
音楽ユニットが何らかの事情で解散し、メンバーは活動を続けているにもかかわらず、
何年もの間、過去の遺産に鍵が掛けられている状態というのは、
その栄光に心酔していた者からすると、心が落ち着かないものがあるだろう。
ただ、その栄光を、いつまでも同じ形で求め続けるのは、
当事者にとって、呪縛でしかないのだろうというのは、想像に難くない。
(広い意味で言うなら、それが諸行無常、永遠はあり得ないからだ。)
いわゆる”亡霊”とは、常に変化し続けるこの世界に対して、
自分の中に留まる、変化しないものを求める心だったのかもしれない。
私はそう、先日の武道館で、心に潜む亡霊の姿を思い知らされた。

一方で、当事者の方にも”亡霊”が首をもたげる瞬間があるのだと思う。
そんな自己矛盾の中、今を精一杯生きる彼ら彼女らを、
その目、その耳、五感を解き放って認める努力はしていきたいし、して欲しい。
亡霊に対する恐れは、自分の中だけでは解決することはなかなか難しい。
でもお互いを「いまが最高!」と声を掛け合えることが、
相手の不安、”亡霊”への恐れを振り払えるのかもしれない、と感じた。

当の梶浦さんにも、”亡霊”がいるのだろうか?
むしろ、きっといるんだろうな、そう今回のライブを振り返る中で感じた。
その亡霊の存在こそ、彼女の作品の原動力ともなり、
観客である私たちとをつなぐものになっているのかもしれない。
そんな彼女を支えているのは、やはり共演者であり、スタッフであり、
今回武道館へと集まった(梶浦風に言うと)”あなた”なのだろう。

自分なりの結論として、亡霊は消せない。
でも、自分の亡霊を憎むのでなく、
相手も抱えているであろう、亡霊をなだめる方に目を向けてみよう。

「輝く空の静寂には」の歌詞を振り返ろう。
私の庭は、汀の彼方にあり、何時か貴方が辿り着く
貴方の家は、みなもとへ還る細い路にあり、○○○(ここは歌詞にはない)
その上で「Parade」の歌詞を見ると、梶浦さんが見ている未来が、
武道館で語った言葉よりも、もっと如実に描かれているじゃないか。

Parade - FictionJunction ↓公式フルMVです、歌詞を噛みしめて欲しい
https://www.youtube.com/watch?v=gXEbwYIPx2A

ゲスト歌姫のkokiaだったと記憶しているが、質問に答える形でこう発言していた(大意)
「私には、変わらないものが2つある。
 私は歌で心を伝えたい、という想い。
 そして、それがきっと相手に伝わると信じている、という想い。」
梶浦さんは、その言葉に全く同じだと首肯していた。
自分も、大切な思い出をくれた相手に、同じ態度で向き合いたい。
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