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2019年03月03日18:17

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【長文注意】声優ユニットWake Up, Girls!は3/8に終わる。けど、

(前回のあらすじ:
 「声優ユニットWake Up, Girls!は「売れなかったから」解散するのか」
 https://tokinodrop.tokyo/wug20190206contribution/
 がかつて無いアクセスを叩きだしたホテル野猿先生。
 しかしその後は知識の足り無さに苦しみ、スランプが続く。
 「一発屋だったな」そんな声をポタク認定してレスバトルする毎日。
 SSAを5日後に控え、彼が取った秘策とは…!?)



突然で申し訳ないが、プリミティブな初期衝動を喚起するため、
ライブ観戦歴を振り返る自分語りから始めてみる。
お前の事には興味ないよ、早く本題に入れよ、
って人は仕切り線まで飛ばすがよいぞ。


周りが引くレベルで、ライブで泣いたことは、
今振り返ってみると、3回ぐらい思い出すことが出来た。
あ、先に言いますが、直近はWUGの熊本夜公演です。

真っ先に思い出したのは、THE YELLOW MONKEYだ。
2001年1月8日、東京ドーム。懐かしいなぁ。
あの時モラトリアムまっただ中だった自分は、
友情だの恋愛だの、そういう感情をうまく表現できなくて、
それを仮託する手段として、彼らを選んだのかもしれない。

彼らは後に再結成するわけだけど、行けてない。行くのが怖い。
自分の青春時代が、上書きされるのが怖い。
今の彼らを見て、青春時代の自分と違う感想を持った時、
あの時の依存していた自分が否定されるようで。
そう思うと、全然違う立場で、時系列も違うけど、
WUG仙台公演での、吉岡さんの気持ちが少し分かった気がする。勘違いか。

2回目は比較的最近の、Kalafinaのライブだ。
2018年1月23日、日本武道館。結成10周年ライブ。
スクープ報道を通じて活動休止することが分かっていたが、
本人達の口からそのことについて語られる事は、今の今まで無い。
そしてこの武道館公演自体、ほとんどMCがない異例のものだった。
でも、自分は肌で感じていた。「これでお別れだよ」と。
言葉で伝えようとしても、100%伝えきれる事なんて出来ない。
それなら、音楽で、身体で、表情で、それを表現する。
それがあの時の3人の矜持だったんだろうな、と今は思う。

WUGちゃんも解散する理由については、
今までプレスリリース以上のことは話していないと思う。
あるのは、3月(8日か9日に)解散するという事実だけだ。
そう思うと、「言葉の結晶」の歌詞が想起された。
問いかけるような瞳、もの言わぬ声。
なぜちゃんと説明してくれないの!じゃないんだ。
説明して納得させられるなら、はじめからやってると思う。
言葉で説明しても、屈折して、真っ直ぐに伝わらないのが分かってる。
ならば、自分達が出来ることで、伝えるしかなかったんだ、と。


*********************


前置きが長くなりすぎたが、
3/8のSSAで、自分はおそらくこの3つを超えるレベルで崩壊すると思う。
この3つの事象が複合的に絡み合った状況になりそうだからだ。

ただ、自分への戒めとして、泣くためにSSAに行くんじゃない。
自分は超新参だ。泣き所の情報なんておまいつワグナーに比べるとごく少ないし、
そもそも一番楽しくて一番寂しくなるのはWUGちゃん本人だ。間違いなく。
でも、自分は自分の持ち合わせている感覚でSSAに臨む。
そのために、今自分が持ち合わせている情報を整理しなくてはと思う。
だからこのテキストは基本的に俺得でしかない。
その上で、この先を読み進めて頂きたい。


まず先に言うべきことは、
3/8のSSA公演で、ユニットとしてのWUGは終わる、ということだ。
何を今更と思われるかもしれないが、これは重要だ。
「いやーそのうちなんとかなるっしょ」みたいな気分でいるとしたら、
彼女たちの覚悟をなめてる。マジで。
Wake Up,Girls!は、色んな意味で終わる、極端には「死ぬ」のだ。
(ここらへんちょっと鷲崎さんのコメントに影響を受けてないわけではない)

「色んな意味」とは一体なんなのか。
最後となる新曲4曲に、そのヒントがあると感じた。
作詞の只野菜摘さんに「MONACA組曲」と名付けられたこの4曲は、
その曲順にも、意味があると名言されている。
おそらく、SSAでもこの順番で演奏されると確信している。
そして自分は、それぞれの曲はそれぞれの別れ、死が込められている、と感じた。
(面倒なので今のうちに言っておくと、別れであり死である、
 と言っても、永訣、忘却を意味しているのではない。
 その死を背負って3/9以降を生きていく、ということだ)


ここで速報。只野さんがこの起承転結についてツイートし始めた。
書いてないうちから私信かよ、と思いつつ、余り影響うけないように続けることにする。


「海そしてシャッター通り」
これは紛れもなく、東日本大震災だ。(情景としては石巻のようだが)
WUGの精神的なスタートは、3.11をおいて他ならない。
そしてこの曲のラストは「そっと眠って」で締めくくられている。
この曲をどう受け止めるか。
その答えを、下のツイートが示してくれている。

「忘れたい僕らが「忘れないで」と言ったら嘘になるんだ。」
https://twitter.com/takamasa_net/status/1099886789236449280

この曲は、WUGちゃんと「東日本大震災との別れ」、
ユニットとして6年間向き合ってきたことの集大成であろう。
悲しみを心の中に眠らせ、それぞれの未来に向かって踏み出す。
そのことが示されていることに他ならない。


「言葉の結晶」
この歌詞で印象的なのは「いつでも微笑んでいるドール」だ。
それをキーワードとして、自分はこの曲を「アイドルとの別れ」と受け止めた。
4/1にWUGはユニットとしてスタートを切った。
そして作品同様、アイドル的な活動を中心としていた。
しかしアイドルとは、自分が過去に述べたようにしばしば共依存であり共同幻想、
必ずしも中の人の人格との整合性をもたない視線で見られていただろう。
3/8は、アイドルというペルソナとの別れであり、
さらに言うなら、アイドルだったキャラクターとの別れでもあろう。
このことについては、奥野さんを通じて本稿のコメントで掘り下げるので、
よければ必ず読んで頂けると。長文なので気が向いたら。


「土曜日のフライト」
この中では「忘れないで でも上手に忘れて」がよく至言として取り上げられるが、
その実、何を意味しているのかについては、一呼吸置いて考えたいと思った。
ワグナーに対しての「忘れないで」という考え方が一般的かもしれないが、
あえて明言しよう。これは「元監督との別れ」を意味してる。
…と言ってしまった以上は、歌詞を見てくれとしか言えないし、
自分がそう考える理由も、解任後の彼の立ち振る舞いを歌詞に当てはめた、
としか言いようがない。違っていたら只野さんゴメンナサイ。自分の妄想です。

でもあえて言うなら、「アイドルである前に人間です」だったり、
吉岡さんが実際に言ったと言われる「WUGはWUGである」であろうか。
人間は成長し、変化する。それは元監督の願わない方向でもあっただろうし、
その予防線として「しかるべきときが来たら解散させる」と発言したと思う。
しかし、WUGちゃんは(他の意思がある程度関与したとしても)自ら終わることを決めた。
それはまさに「魂とプライド」だと受け止めている。
(※3/12追記 元監督のブログを弁明と受けとめて、
 「元監督含めたアニメプロジェクトとの別れ」と修正したい。
 修正はするけど、やっぱり一番ひっかき回したのは…なのよね)


「さようならのパレード」
この曲については、自分はSSAで初めて聴くと覚悟を決めている。
それは、その歌詞が、まさしく「ワグナーそしてWUGとの別れ」であり、
その別れの言葉を、彼女たちの口から直接聞きたいからだ。
歌詞の情報シャットアウトしているのにそんなこと分かるの?と思われそうだが、
インストは聴いているし、ライブでのワグナーの反応は知っている。
自分はそれだけで、この推測は間違いないと確信している。

2番Bメロから入ってくるトランペットを心の中で鳴らそう。
2ヶ月という他の人に比べると短い練習期間なので拙いかもしれないが、
KADODEのファンファーレ、全力で届けたいと思う。


********************


というわけでここまで読んで頂いてありが…えっ?
そんな別れとか死とかそんなことばっかり言われてテンションがた落ちだよ!
WUGちゃんねるとかで「コンテンツとしてのWUGは続く」と言ってたけど、
もしお前の妄想が当たっているとしたら、WUGちゃんウソついたのかよ!って?

いえいえ。その発言のネタばらしにあたるもの。
それが、永野さんの仙台千秋楽夜の部のMCだと、自分は気付きました。

「今日皆さんのおかげで冬に仙台で桜が満開になりました。
 冬に咲いても秋に咲いても桜は桜だと、私はいつも言っています。
 秋に咲いても秋桜にならないんです。私の中では桜は桜で。
 Wake Up,Girls!も解散はしてしまうんですけれども、
 いつまでも皆さんの心に咲いていれば、
 ずっとWake Up,Girls!はWake Up, Girls!だと思います。
 この7人でWake Up,Girls!です。」
https://www.famitsu.com/news/201902/26172459.html (ファミ通による公式レポートより)

自分は永野さんの「Like a Sakura」について、
先に書いたテキストで「花咲か爺さん」と解釈した。
自分の受けとめは、今に至って決して間違いではないと思っている。
永野さんはブログで、千秋楽の企画パートに、四季を取り入れたと語った。
四季があるからには、普通は花は散るし、花の咲かない季節もあるはずだ。
しかし永野さんは、あえてMCで、桜は桜だ、そう表現した。
この矛盾する言葉には、どういう想いが込められているのだろう。

自分が考えて導きだした答えは、「桜は咲かせられる」ということだ。
花咲か爺さんなら灰を撒いて、ワグナーなら「あえて」用意したピンクのサイリュームによって。
普通に考えたら、ありえない、それは桜ではない、幻想だ。
しかし永野さんは「桜は桜だ」と言ってのけた。
永野さんは、人間の可能性を信じている。
それがつまり、「コンテンツとしてのWUGは続く」ということだ。

自分にとって、WUGちゃんの中でも永野さんは、
ここに至るまで、ずっとつかみ所を見つけられずにいた。
でも、もう何のひねりもいらない、そう理解した。
彼女は東北とWUG、その全てをその一身に背負い込んできた人だ。
そしてツアーの千秋楽、仙台で桜の花を満開にし、その場のみんなを笑顔にし、
WUGとしてのラストツアーのトリを、最高更新&優勝という願ってもない形で飾ることが出来た。
そう考えたら、WUGのハッピーエンドは、永野さんのハッピーエンドでもあったんだなと。

桜が咲いたよ、おめでとう。
今日咲いたなら、未来のいつ何時も、必ず桜は咲かせられるよ。
そう自分は言いたい。


青山さんは岩手公演でこう言った。
「(ワグナーに向けて)私たち、演者とファンの関係ではなく、一線を越えちゃったね」と。
この言葉、失言大賞とも言われたが、
今やこれほど正確にWUGの現在を表している言葉はない、と思う。

イーハトーヴシンガーズは、今年も「言の葉青葉」を歌う。
また個人的には、「海そしてシャッター通り」は、
あの日の悲しみを知っている人に、遠慮せずいっぱい歌い継いで欲しい。
関わった人達が、様々な形で、3/9以降もWUGを紡いでいく。
それが、「コンテンツが続く」ということなんだ、そう確信するのだ。


奥野さんは仙台公演でこう言った。
「一緒に進みましょう!」と。
自分が2ヶ月前にWUGに気付いたように、世界にはまだまだ知らないことがある。
吉岡さんはMCでは上書きするな的なことを言ったようだが、それは零れ落ちた嫉妬心だ。
もっと色んな事に触れて、WUGの記憶とぶつかり合わせればいいじゃないか。
7人が残した記憶は、よほどのことでも薄れたり、ましてや上書きされるものじゃないはずだ。
もし仮に上書きされたなら、また7人に最高を更新してもらおうじゃないか。
…というのは自分の想いで、3/9以降、
人それぞれの「WUGというコンテンツとの未来」があると思う。

「かけがえのない命のはてに 名もない花を咲かそう
 今地球に生きる者よ 旅立ちの勇気を」(「旅立ちの時」より)

旅立つ彼女たちはこう言った。
「これから全身全霊で生きていくので、皆さんも生きていって下さい!!!」

さあ、約束の地、I-1アリーナへ。そして、新しい朝へ。


俺たちのWUGと共に歩む人生はこれからだ!


     ――第一部 完――


(ご愛読ありがとうございました。
 ホテル野猿先生の次回作にご期待ください。)


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