子どもの姿から学ぶ事ってすごいたくさんあって、その中の一つがこの間あったことなんだけど、3歳児の子がね、走ってて、目の前で転んじゃったのよ。そしたらむくって起きて、自分で膝見て、「痛くない。○○ちゃん(自分の事)もうお兄さんだから泣かない」って言ってまた走っていったの。
すっげーーーーって思った。
今までなら、泣いてた。
っていうか、別に泣いていいことだと思うし。痛いことはさ、泣いていいんだよ。そのあと立ち上がれれば。まだ3歳児じゃん。痛いっつーて泣いて、立ち上がるために人の手借りていいと思っているんだけども。
単純に転んだ今までの経験から、そんなに痛くなかったのかもしれない。でもさ、自分はお兄さんだからって理由を付け足したところが、すっげーってなったところ。
「お兄さん」って憧れなんだよな?自分は、そのお兄さんになりたい、もしくはなってると見栄を張りたいから、泣かないんだという選択をしたんだよな??
すごくない??
3歳児でそこまでプライドあるんだってすごくない??
(プライドって単語が上手く当てはまらない気がするなー言い換えたいなー。)
大人だったらさ、転んで泣かないのは、羞恥心なんだよな。こんなことで泣くなんてってことや、転んでしまったことは、注意散漫とか体力の衰えとか諸々にかかってくるから、とかもあるけど、基本的には「転んで泣くのは恥ずかしい」みたいな観念から泣かない。せっかく人間に与えられた感情表現なのに、コントロールしちゃう。ま、そのコントロールができない方が社会で変な目で見られるからしょうがないんだけど。
大人が転んで泣かないのは、そういう理由。割と後ろ向き?な我慢。
この子は、誇りのために、自分のために「泣かない」って声に出して私にアピールした。お兄さんだと外部に伝えるのって、いろいろ大変なんやで?
でも、大きくなることがこの子にとっては喜びなんだなぁ。大きくなることはできる自分が増えてくこと!やったーーー!なんだなぁ。選び取った我慢なんだ。
すごいね、子どもって。
子どもも楽しいけど、大人も楽しいから早くおいでよとは思うけど、なんか、本当に子どもから学ぶことめちゃくちゃあって、すっげーとなる毎日です。
今回の誤変換
人の手借りて → 人のテカリて
本当、このパソコン笑える。
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