■テラスハウス報道、センセーショナルな情報の怖さ 支援団体の危惧 シェアが生み出す「負の影響」
(ウィズニュース - 05月29日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6099597
とても不愉快な事件。
恋愛リアリティー番組とのこと。この点が最大の悪要因。
情報が錯綜していて実際のところはハッキリせず、程度の度合いは言い切れませんが、
100% = ドラマ > リアリティー番組 > ドキュメント = 0%
演技量パーセンテージが不確定の、この構図に墜ちた彼女です。
誹謗中傷はいけないことです。
ですが、実はいわれはあった誹謗中傷です。
さらに言えば、誹謗中傷を狙った行為でした。
自分の中で整理した単純化した時系列は、
ネット放送でバッシングが起こる→その後コロナ騒動で撮影停止→状況動かず
→バッシング継続→時間差のTV放送でバッシング加熱→自殺という結末。
誹謗中傷を狙った行為と書きましたが、(番組側が)コントロール(加熱も冷却も)できるはずだったのにコロナで思惑が外れる。この間の彼女(と視聴者)の孤独も保温効果が効いてしまった。
誹謗中傷を狙った行為と書きました。誰がこの行為を主導したのか。
誘導はあったのでしょう。それに乗った彼女です。乗ったのは彼女の意思でした。事件が起きました。
その激怒は演技か?感情か?
残念ながら1%でも感情が入ってしまう構図であり、実際であったり、真実であったりもするのです。
この1%に苦しんだ彼女でした。
100%の演技は当然感情問題になりません。
実はこれが100%の感情の方が、まだ対応しやすいのです。彼女の心の中で真摯に謝るなり、逆に開き直るなりに、感情を整えやすく処理できるのです。
ですが、演技と感情が混在した行為を、別けて整理できなかった。
99%の演技と割り切るべきところを1%の感情が卑怯と判断してしまった。
孤独の中で感情が深く沈み込んで自殺という決断です。
もう嫌になったというのが大半でしょう。
反省、謝罪というのも含みます。反省、謝罪が自殺まで追い込む行為でないのですが、1%の感情が99%の演技を卑怯として加速度をつけてしまった。
申し訳ないですが、意趣返しも含まれてしまいます。演技の面が悪役を押し通し、SNSとの完全融合で劇場型フィニッシュとなりました。感情が深く沈み込んで負圧が溜まり切って爆発してしまった。熱演ということになってしまった。
こう書くと、演技と感情を都合よく使い分けていると自覚します。卑怯です。
この卑怯です。リアリティー番組とやらは、この卑怯を常時活用していたのです。
ここまでが自分のこの事件での見解です。
センセーショナルな報道の怖さということです。
正直、インパクトに対して報道の量ということでは過少な気がします。ここでもコロナの悪影響です。
報道の質です。ワイドショーコメンテーターが、追い込んだSNS誹謗中傷に対して「卑怯な行為!法的整備を!」とこぞって一律な意見です。それは当たり前の『大前提』の意見です。冒頭に触れて、その後事件の特異性に言及するのが質ということです。
ですが、そうはならなかった。上の意見を持つ自分ですから憤るところなのですが、ワイドショーコメンテーターの皆さんも少なからずSNS攻勢に対して傷を負っているから、当たり前の意見でも感情的真実に乗っているから非難するには気が引けてしまいます。
それがTV側の思惑と丸被りとなります。SNSだけを悪者にして、悪者だけを叩いて自らに焦点を合わせさせません。過剰な報道を控えるという名目で自らに焦点を合わせません。
繰り返します。『卑怯』です。
今はもういない木村花さんに届かない言葉を。
自分をちゃんと持って欲しかった。
そうすればリアリティー番組とやらの罠に嵌まらなかったのに。
あなたが選んだ究極の自由、自殺という選択は、本来のあなたでない、自由でない過剰な演技と自分は思うことにします。演技に逃げた卑怯だとも言っておきます。
ご冥福をお祈りします。
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