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2020年09月16日09:03

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第151話

「そうだよ。私はお父さんに本当の私を見つけてほしかった。私が誰なのか知ってほしかった。それがたった1日でも」
 父には娘の言うことがわからなかった。いや、わかりはした。親子ごっこより本当の親子がいいに決まっている。ただ、それがたった1日だけというのがどうしても許せなかったのだ。
「16年かかってやってきて、それがたった1日で終わってしまうって、それじゃまるでセミとおんなじじゃないか!」
 娘は辛そうに顔を歪め、けれども父を見つめて言う。
「お父さん、茶化す気はないけど、セミがどれだけ長い年月土の中にいたとして、それで地上に出てあっけなく死んでいくとしてもよ、それを哀れだとか可愛そうだとか思うのは人間の勝手なものさしか感傷じゃない! セミは自分のこと哀れだとも悲しいとも思ってないよ!」
 玻璃が初めて激した。それから自分を元に戻して言った。
「お父さん、16年より重くて大切な1日だってあるんだよ。それがどんなに理不尽だってお父さんが思っても、もう後戻りはできない。私は失う勇気を手に入れてしまったの」
「失う勇気って、それは片思いの話だったじゃないか。何でそんな話になるんだ!」
 彼にはわからなかった。16年よりも大切な1日なんて。永遠に別れることと引き換えにしてでも自分を見つけてほしかったなんて。それが失う勇気だなんて。
 でも、もう何も言えなかった。これ以上娘の前で醜態をさらしたくもなかった。父は娘の思いをそのまま受け容れるしかない。父親とはいつもそういう哀れな存在なのだ。
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「玻璃、宿はとれたよ。一番高級とは言わないけど、ぼくも何度か泊ったことがあって気に入ってる。そこそこのホテルだよ」
「ありがとう。いっぱい我儘を聞いてもらって」
「砂粒にそういうジャンルはなかったのかい? 父親の習性講座とか。娘に我儘言われるのが父親の幸せなんだよ」
 父はもう全てを受け容れていた。そうするしかなかったからだが、娘との最初で最後の日を、これ以上荒れた気持ちで過ごしたくはなかった。
「お父さん、もうひとつだけごめん。先に言っとくべきだった。ツインの部屋とった?」
「ううん。シングルの部屋だよ。どうせ玻璃はいっつもぼくのベッドで寝るし、12時には出て行くんだろ。節約節約って言ってたじゃない」
「さすがお父さんだね。それならもうわかってくれてると思うけど、チェックインはひとりでお願いね。ややこしいから」
「わかってるさ。
 さて、最後の時間が減っていく。お父さんと何かしたいことはある? カラオケとか、どっかの店に入って思い切り仲のいい親子を見せびらかすとか」
「そんなのいらないよぉ。ここでお父さんとこうしてて、日が暮れる前にホテルに入って、それから・・・・」
 娘はその先が言いたくなくて口を閉じた。もうそこでふたりが言葉を交わすことはなかった。父はただ娘を抱き寄せ、新生児の香りを感じていた。娘はただ父に身体を寄せ、微かに煙草の匂いのする、もうすっかりなじんでしまった父の匂いを感じていた。娘は溢れる思いが父に届くことを祈った。父は娘の思いが少しずつ身体の中にしみ込んでくるように感じた。
 幸せだなどと言うことはとてもできなかった。あまりにも切なかった。けれどもまるで聖者の前に跪く信徒のように、彼の心は静かだった。時は密やかに流れていく。
 どれほどの間そうしていただろう。犬を連れた女性の姿が見えたのをきっかけに、ようやく父と娘は立ち上がる。玻璃のトートバッグで四つ葉のストラップが揺れている。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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