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2020年09月13日09:44

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第148話

 ふたりを見つけて島の人たちが寄ってくる。それは父にではなく娘にだ。「ハリちゃん、おじいのこと忘れるなよ」「ハリちゃん、またおいで」「ハリちゃん元気でね」「ハリちゃん」「ハリちゃん」・・・・。次々に差し出される手を玻璃は白うさぎのように目を真っ赤にしながら握り返している。この島に20年通った彼は蚊帳の外だ。
「俺はこんなことしてもらったことないぞ!」
 彼は誰にともなく怒鳴りながら、やはり白うさぎになっている。既に出航の時間を過ぎているが、年配の船長は桟橋の景色を平然と見ながらアイドリングのままだ。若い乗務員は初めて見る光景にあ然としている。船を降りてきた観光客たちも同じだ。歓迎されることなく放置されながら、桟橋を支配する空気に飲み込まれている。
 抱擁の嵐をようやく逃れ、玻璃が船に乗り込み、船室の入り口で桟橋を見る。若葉がいる、マツおばあもいる。アルコール依存症のおじいもいる。みんないる。娘の横で父は島人の群れに深々と頭を下げる。いつもは鳴らさない汽笛を、船長が長く響かせる。それが合図でもあったかのように、彼には耳慣れた三味線の前奏がスピーカーから流れ出した。着物のおばあを先頭に女性たちが踊り始める。玻璃がもらった手拭いの歌詞が勇一さんの声で流れ始める。船は桟橋を離れ、ゆっくりと旋回を始める。

 船はゆくゆく鳩間の港 手を振り涙ほろり落ち またの会う日を楽しみに
 さよならさよなら手を振れば 船はゆくゆく 鳩間の港 (加治工勇 『鳩間の港』)

 玻璃は船室に降りず、デッキで手を振り続ける。彼はいつもなら手を振る立場だが、今日はひとりで先に船室に降りる。玻璃の瞳の中で手を振る人たちがだんだん小さくなり、やがて防波堤が両者を遮断する。
 防波堤にはそういう大切な役割もあるのだ。
           フォト

「よかったね。この島でこんなに脇に押しやられたのは初めてだよ。
 で、親子の最後の1日はどこで過ごしたい?」
 船室に入ってもひとしきりうずくまっていた玻璃がようやく身体を起こしてから、頃合いを見計らって父が訊いた。
「石垣空港から那覇を経由したら全国どこへでも行ける。けど便を調べてないから今日は石垣泊が現実的かな。でも、別に最後の1日にしなくても、もう少し親子旅を延長したって構わないから、玻璃の行きたいところへ行こう」
「ううん。あと1日だけでいい。お父さんと親子でいられる場所ならどこでもいいんだ。だから石垣島を最後の日にしよう」
 そう言って娘は一瞬瞳を曇らせたが、娘が船窓から海を見つめていたものだから、父はそれに気づかなかった。
「わかった。あと1日だったらそれが現実的かな。この時期だから宿もとれると思う」
「ねぇ、お父さん、ひとつだけおねだりって言うか、我儘言っていい?」
「ぼくにできることならなんなりと、お嬢様」
「じゃ、これは務おじいや啓子さんには内緒だけど、バンガローよりもうちょっとだけ豪華な部屋に泊まりたい。私、最後の夜にちょっとしたショーも考えてるから」
 父は笑った。
「それは乙女の当然の希望だね。安宿よりホテルの方が空いてるかもしれない。旅の最後の夜だからちょっとばかり贅沢しよう。
 今度鳩間に行ったとき、ついおじいたちにチクってしまうかもだけど。
 でも、ショーって?」
「それは内緒だよ。でも決して期待するようなものじゃないから、忘れといて」

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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