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2020年07月12日09:56

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第86話

 部屋で荷物を片づけていると窓の外から青年の声が聞こえた。
「島を歩きたいんで、お見送りは失礼します。ハリちゃんもどうかお元気で。飲んだくれ父さんを連れて大変だと思いますがお気をつけて」
 青年は窓から腕を差し込んで彼の手を力強く握り、ハリの手をやさしく握った。好青年は最後まで爽やかだった。
 10時になり、汽笛が聞こえたので宿を出る。田舎料理で申し訳なかったというおばあにとんでもないと彼が言い、「私はすごく食が細いんですけど、バクバクいただいちゃいました」とハリが続けた。
「こんな年頃の娘さんとお父さんなのに、本当に息が合ってるんだねぇ」とおばあは微笑ましそうだった。名残りを惜しみ合い、再会を約し、おばあとも手を握り合って港に向かう。
 フェリーに乗り込み、席を確保し、展望デッキに出ると、昨日本村温泉で出会った屋久島在住のおじいも乗っていた。
「今日お帰りだったんですね」
「娘さんと一緒だったんか。いいねぇ」とおじいは羨ましそうに言い、船室に降りて行った。
 湯のない西ノ浦温泉を見物し、本村温泉に浸かり、おばあや青年と密度の濃いひとときを持った、たったそれだけの短い滞在だったが心に残る島を彼は見つめる。ハリが言う。
「やっぱりこの島に1泊じゃ足りなかったよね」
「うん、おばあにも行ったけど、是非もう一度来たいな。三島村の忘れ物もとりに、きっと戻ってくると思う。ハリも来るかい?」
「お父さんがお望みなら、私は喜んで」
 次にハリとここを訪れるのはいつのことだろうと思い、ふと、そんな日は二度と訪れないのではないかという一抹の懸念に彼は襲われた。
          フォト
「玉城さーん!」
 名前を叫ばれて振り返ったら階段を駆け上がってくる民宿のおばあの姿が目に入った。
「これこれ、忘れ物。布団カバー外したら出てきたから」
 差し出したおばあの手の上には、ふたつの小石が載っていた。上五島の教会に現れたハリと言葉を交わしたあと、帰る道で何気なく拾った石だった。ジーパンの尻ポケットに突っこんだまま取り出すこともなく忘れていた。昨夜着替えもしないで眠ったので転がり落ちたのだろう。
 それにしても、携帯だ財布だというのではない。宝石のように輝く石でもない。拾った当人以外が見ればただの石ころでしかないだろうに、それを船まで走って届けてくれるおばあの気持ちが心にしみた。どんな石ころにでも旅行者の大事な思い出がしまいこまれているかもしれない、そんなおばあの旅人を思うやさしい人柄を彼は思う。
 彼に石を渡すと深謝の言葉を受け流すかのようにおばあはさっさと階段を下りて行った。おばあには感謝されるほどのことでもない、あたりまえの行為だったのかもしれない。傍らにいた2人の中年女性が微笑ましく成り行きを見守っていた。
「あったかいですよね」と2人は彼に言った。
 彼は改めて手の中のふたつの小石を見つめる。大きめの方は少し緑がかった白で、少し形がいびつだった。小ぶりの方は白っぽい地の中に薄いピンク色が飛んでおり、まろやかに平らできれいな円形だった。
「こんな石を拾ってたんだ。どこで拾ったの?」
「うん。上五島の青砂ケ浦教会でハリと会ったときに帰り道で拾った。自分でも忘れてたくらいなのに、ちょっと感激したよ」
「いいおばあだよねぇ。あっ! ねぇねぇこのふたつの石、お父さんと私みたいじゃない?」
 言われてみればふたつの石はそんな風にも見えた。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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