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2020年07月09日11:53

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第83話

 宿に戻って、別れてからの愉快な偶然をハリに報告し、ハリは何をしていたのかと訊いたら、テレビを見ていたと言った。テレビは自分にとって学習機なのだと笑う。それはそうかもしれないと彼は思った。
 すぐに夕食の支度ができたとおばあの声が聞こえた。夕食は別棟の母屋にある別室に用意してあった。彼とハリは2人分の料理が並んでいる方の椅子に座る。この宿には2名1泊で予約を入れてあった。食事だけ1人分にしてもらうのも不自然だ。
 テーブルの上にはたくさんの皿が並んでいた。豪華と言ってよかっただろう。刺身はアカバラだとおばあは言った。魚の形は想像がつかない。
 この宿にビールはなく、頼んだ発泡酒を開けて煽り、料理に箸をつけ始めたところに好青年が有名な屋久島の焼酎の4合瓶を下げて入ってきた。おばあが黙って冷蔵庫から氷を出し、ペールに盛る。彼が発泡酒を飲み終え、部屋に自前の酒をとりに行こうとしたら、是非これを飲んでくれと青年が薦めたので甘えることにした。高級なボトルに入った原酒だった。W商店でさっき買ってきたのだと言う。おばあの話と青年の証言を突き合わせると、W商店というのは、船内で出会った物腰も笑顔もやわらかい、あの年配女性の店のようだった。
「本村温泉の管理人さんもW商店の奥さんもクリスチャンですごくやさしい人なのよ」とおばあは言った。やっぱりクリスチャンだったのかと彼は思う。いろんなことがつながっていく。港で水死したという不運な人もつながった。おばあの同級生だったのだ。
 車の中で聞いた話より詳しい事情を知ることができた。特注の高いウェットスーツを家に置いたままになっていたので、それを取りに島に戻り、潜りに行ったのだそうだ。
            フォト
「昔から潜るのが大好きで、よく魚を獲ってきては分けてくれたんよ。まさかあの人がね」
 浮かべていたブイのロープに脚が絡まって浮上できなくなったらしかった。その人にブイを浮かべて潜る周到さがなければ命を落とすことはなかったのだろうか。皮肉な話と言えばそうかもしれないが、と彼は思う。こうしていれば、こうしていなければ、そんなことを考え出せばキリはない。この世界は後悔と必然性にうずもれて一歩も前に進めなくなってしまう。それならまだ、この世界は偶然に満ちていて結果もただの偶然に過ぎないのだと開き直ってしまった方がいいのかもしれない。運命という言葉はあまり好きではなったが、それを運命だと呼ぶのなら、運命に罪はない。
「運命だったんでしょうかね? でも、自分の生まれた島の海で好きなことをしていて亡くなったのは、まだしも救いじゃないですか?」
 彼がそういうとおばあは「私もそう思う」と、同級生の冥福を祈るように大きく頷いた。
 おばあは食事をする彼らとは別のテーブルの椅子に腰かけ、自分はもうだったのかまだだったのか食べもせず、彼らの会話にずっとつきあっていた。
「すごく美味しいです」とハリは喜んで精力的に料理を平らげていた。確かにどの料理も美味だった。青年は気前よく彼のグラスにも自分のグラスにも焼酎を注ぎ足した。原酒も美味だった。
 さすがに水死事故で盛り上がるわけにはいかなかったが、おばあがこの島に生息するエラブオオコウモリの見事な写真を持ち出したり、青年が過去の旅の話を陽気に語ったり、彼やハリも今回の旅の経験を披露したり、賑やかな晩餐となった。もちろん、おばあと青年はハリについてもほめそやした。特に青年の方はご執心のようだったが、おばあにも青年にも、変に度を過ごさないだけの気配りはあったので、それはふたりにはありがたいことだった。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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