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2020年07月06日09:18

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連載ブログ 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第80話

 港の護岸は大きかったが、西表島の船浦港と同じように護岸しかない。携帯のナビを見ながら民宿への道をたどっていると、防波堤を出るところで、傍らを通り過ぎる車の助手席から先ほどの年配の女性が声をかけた。
「その道を左へまっすぐで右手に見えますよ」
「ありがとうございます!」
 彼女はおばあと呼んでもいい年齢だったが、彼にはそう呼ぶのが少し憚られた。もちろんおばあを軽視するつもりなど全くない。彼はおばあという言葉にいつだって尊敬と親しみの念を込めて使っていたのだが、この老女はおばあではなかった。
 ふたりの後ろから、如何にも旅の人という若い男性がついてきていた。宿はあっけないほど近かった。遠目には小さな山荘のような雰囲気がなくもなかったが、近づいてみれば離島の民宿の空気を色濃く発散している家屋だった。
 傍らに小さな畑のある庭に入って母屋の方に声をかけると、こちらは島のおばあと呼ぶにふさわしい女性が現れ、愛想よくふたりを迎えた。
「あらぁ、きれいな娘さん。今日はもう1人来ることになってるけど、どうしたのかな」「よろしくお願いします。後ろから男の人がついてきてましたよ」
 おばあはふたりを部屋に案内し、お茶がないからと清涼飲料水のボトルを差し出す。狭い畳敷きの部屋の片隅に布団が二つ折りにして並べられていた。テレビとエアコンはあったが、この気温では真夏にならなければクーラーは不用だろう。
 西ノ浦温泉について尋ねてみると、干潮のときに行ってもお湯がないと言う。船内で訊いた話と微妙にすれ違っていたが、それが秘湯たる所以かもしれないと彼は思った。
          フォト   
 そこにもう1人の客である若い男性が入ってきた。狭い屋内では自然と話の輪ができてしまう。
「よろしくお願いします!」と元気な声はまだ20代かと思わせる。背中の荷物も降ろさないまま、彼は訊いた。
「海には入れますか?」
「入れますよ。その辺のどこでも」
 来る道で見たところ、細い道と並行した岸壁はすぐに越えられそうだったし、その向こうには安全にエントリーできそうな湾内の岩場が広がっていた。彼も海に潜るのは大好きだった。
「でも寒くないですか?」と彼は挨拶代わりに口を挟む。気さくな好青年であることはその雰囲気からすぐに知れた。
 今年が特別なのかこの地方がいつもそうなのか、ここのところずっと涼しいか寒い。
 青年もこの島は初めてだと言ったが、今回はこの島だけに3泊すると言う。腹の座った旅人だと彼は思った。 ふたりは部屋に収まった。
「何かすごく雰囲気のある島だよね。何て言うのか、島の空気が向こうから迫ってくる感じ」
「わかるよ。八重山や吐噶喇の島と雰囲気が似てる。何かが起こるような予感がする島だね。ぼくたちがいる間に何かが起こるかどうかは別にして」
 何かが起こると言うのなら、そろそろひと月になろうとする彼の旅では、ここまでずっとかなり非日常的な何かが起こり続けていたのだが。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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