まずは彼が温泉情報を仕入れにかかる。
「西ノ浦温泉には歩いて行けますか?」
女性は、歩きで問題はないが満潮で浴槽に潮がかぶらないと熱くて入れないのだと言った。西ノ浦温泉も海岸の露天風呂なのだ。彼が携帯で潮見表を調べる。
「朝風呂に入ってから船に乗るか」と言うと、
「それもいいでしょう。宿はどちら?」と女性が訊く。彼がYさんの宿ですと答えると、「いい宿を選んびましたね。女将さんはいい方ですよ。港から近くて便利ですしね」と女性は言った。
口永良部島には他にも魅力的な秘湯がいくつかあったのだが、とても歩いては行けないか、昨年の台風で道路が不通になっていて行けないかだとのことだった。港に近い本村温泉という公衆温泉施設は16時かららしい。
「鹿児島へ出ておられたんですか?」
女性の傍らにある大荷物を見て彼が尋ねる。
「そうです。あっちに寝てるおじいさんを病院までね。高速船を使ったら間に合うんですよ。帰りはフェリーでゆっくり帰ってきますが」
それにしてもかなりの物入りに違いない。
「島民割引とかないんですか?」
彼は彼が通う八重山の島々にそういう制度があることを思って尋ねた。
「ありますよ。3年間の期限はついていますけど。それだってやっと2年ほど前に始まったんです。それまでは普通の料金でした」
「それは酷いな。きっと3年たっても継続されますよ」
「そうでしょうか? そうだといいですけど」
「そうでないとダメです!」
ハリが横から言葉を添えた。
「本当にきれいなお嬢さんはおいくつですか?」
「16歳です」
「お父様と仲よしなのね」
「はい、ずっと離れて暮らしてましたから、その分」
ハリは真顔で言った。彼はあまりハリに芝居を続けさせたくはなかったので話題を変える。
「島にはどのくらいの方が暮らしておられるんですか?」
百人ほどで、子どもはほとんどが里子なのだと女性が言ったので、彼は彼が通う八重山の小さな島のことを話す。口永良部よりさらに人口は少なく、もうずいぶん以前から里子を誘致することで島の財産である学校を懸命に守ってきた島だった。女性は同じ境遇にある八重山の島の話を興味深そうに聞いていた。
避難生活についても訊いてみると、4年前に避難指示が出、屋久島に建てられた仮設住宅で7か月間暮らしたと言う。帰ってみると、泥棒や動物による被害はなかったそうだが、床上まで水がつき、大変だったと彼女は述懐した。
「それはお気の毒でした。今も桜島みたいに日常的な噴火はあるんですか?」
「もう少しして船が回り込んだら噴煙が見えますよ」
タイミングよく放送が流れる。
「本船は間もな口永良部港に到着します」
「さっき、逆言ってましたよね」と彼が笑うと、
「訂正しませんでしたねぇ」と女性も笑った。
彼女が席を立ったので、ふたりは礼を言う。
「貴重な情報もいただいたし、お話できてとても楽しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ、楽しく時間が潰れました。船に慣れているとは言え、やっぱり退屈は退屈ですから」
女性はハリに向かってつけ加えた。
「大好きなお父様との旅が楽しい旅でありますように」
ハリはもう一度深く頭を下げた。物腰も笑顔もやわらかい彼女に、彼は上五島の教会で出会った初老の女性信徒を重ね合わせていた。
ふたりはデッキに出た。雨は上がっているが、空全体を熱い雲が覆っている。その雲に新岳がもくもくと吐き出す噴煙が溶け込んでいる。船が港に入った。彼は魅力的な島だと思った。
【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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