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2020年06月01日09:26

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第45話

 まだ陽は高い。来た道の記憶を辿りながら人影のない静かな路地を港に戻り、先ほど見かけた観光案内所を訪ねてみたが、小さな事務所のガラス扉には「ただいま外出中、ご用の方は」と携帯番号が掲示されていた。
「どうやら宿だけじゃなくて島に観光客はぼくたちだけみたいだね」
「そういうのって何かちょっとわくわくするな」
 ハリが興味深そうに港の様子を眺めているところへひとりの女性が裏手の集落から現れた。
「観光案内所にご用でしょうか? 私今日は休みなんですけど、ここのものです」
「お休みのところ申し訳ありません。ここで自転車をお借りすることができるのかと思って?」と尋ねてから、自転車は大丈夫なのだろうかとハリを見た。ハリは小さく頷き、中年にさしかかる年齢の女性は答えた。
「いえいえいいですよ。今から行かれますか?」
 今日は散策だけのつもりで、貸自転車の情報を得ようと思っただけだったのだが、そう訊かれて「はい」と彼は答えていた。
 中はコンパクトな事務所だったがきれいに整頓されていた。申込書を書いている間に女性が表に電動自転車を2台用意し、戻ってくると島の地図を彼に渡して簡単に説明した。身分証のコピーをとり、保険の関係があるので必ずかぶってくれとヘルメットを渡す。五島では申込書だけで、ヘルメットは渡されたが「形だけ」と着用は促されなかった。女性の物腰は柔らかかったが、この島は上五島より規律が厳しそうだ。
 表に出て女性がタイヤの空気を補充しているところに先ほどの水色のシャツの男性が現れた。案内所の人だったらしい。
「来られると思ってましたよ」
 そう言って、島で一番の観光スポットだと東温泉を薦め、そこへの道を詳しく教える。
「この時間なら人はいないと思いますし、水着着用も大丈夫ですよ」
 男性はハリに目をやって言い、「きれいだねぇ」と呟くようにつけ足した。
 ふたりに見送られながらタオルをとりに宿まで戻る。無人だった。
「ハリは露天風呂なんか入らないよね。混浴だし」
 ハリはかぶりを振ってお得意の欧米式肯定をする。
「お父さんと一緒にお風呂に入る歳でもないでしょ。でもつきあったげるよ」
          フォト   
 荷物からタオルの袋だけを引っぱり出してすぐにふたりは自転車にまたがった。
 マニアの間でも秘湯中の秘湯のひとつと言われるらしい東温泉を目指す。先ほど教えられた通り、案内所の裏の道を登っていくと学校のような建物があり、みしまジャンベスクールという表示があった。壁面に少年たちが港で叩いていた太鼓の絵も描いてある。ジャンベという名前の太鼓なのだろうか。さっき島の小学生たちが礼儀正しく挨拶をしてきたので、あの太鼓は伝統的なものか尋ねてみたら、「まぁ、伝統みたいなもんかな」と中学年らしい子たちが答えていた。ここで教わったのだろうか?
「でも、この建物、長い間使われてないみたいに見えるね」
 ハリは立派な玄関に近づいてみて言ったが、確かにその通りだった。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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