mixiユーザー(id:11464139)

2020年05月29日09:30

83 view

連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第42話

 やがて船首と船尾から出た太い綱が巻き上げられ、船が港に横づけになった。タラップが降ろされて行く。彼はスタッフに尋ねた。
「何分ほど停まってるんですか? 降りることはできますか?」
 タラップを降ろしながら、精悍な壮年スタッフが答える。
「うーん、今日はうねりがあるんでねぇ、タラップが跳ね上がったりしたら危険なんで下船はしない方がいいですよ」
 タラップが整い、数人の客が降りて行く。皆老人だ。潮位のせいで短いタラップは跳ねる様子もない。彼がスタッフにもう一度歩み寄ると、
「大丈夫ですね。降りていいですよ」とあちらから声をかけてきた。
 十島村の7つの島を全て回るのには日数もかかるので、一度に全島を巡る人は少ない。彼も4島だけ回ったのだが、滞在予定のない他の島にも束の間の上陸だけは果たしてみたい。旅人に限った話ではないだろうが、そう思う人は多い。彼もそういう形では十島村7島を制覇していた。
 三島村航路にもそうした自己満足型の旅人心理は共通しているのだろう。精悍なスタッフは、この船には多分彼ら2人だけしか乗っていない観光客の思いをすくいとってくれたのだった。
 彼とハリは竹島の港に上陸し、「よし、これで2島制覇!」とハイタッチを交わしてすぐに戻ろうとしたが、船上からスタッフが「まだいいですよ」と声をかけてくれた。
それで彼は船や港を背景にハリを撮ろうかと思ったが、やめておいた。ハリの姿が写真に記録されることはないような気がしたからだ。シャッターボタンを押してディスプレイにどんな画像が表示されるのか、試す勇気が彼にはなかった。
           フォト   
 少しだけ港の中を歩いて島の景色を眺めてから船に戻った。精悍なスタッフが人好きのする笑顔で迎えてくれたので、
「ありがとうございました。昨日、おとといの欠航で竹島、黒島に行けなかったもんですから」と彼が言った。
「ああ、それは残念でしたね。十島のTシャツを着ておられるからそういう人だと思ってました。」
 桜島のボランティアスタッフに続いて2人目の獲物をTシャツが釣り上げたのだ。その釣果である渋い男前のスタッフと親し気な会話になった。
「長崎では軍艦島への船も欠航してそれは後日行ったんですけど」
「三島村は船便が不便ですから日程調整が難しいですよね。またいらして下さい」
 スタッフが彼の言葉を引き取って言った。
「はい。今回は諦めて次回の楽しみにとっておきます。替わりに種子島、屋久島、口永良部の3島制覇を狙ってきます」
 すると、スタッフが笑いながら言う。
「あっちは高速船があるから大丈夫でしょう」
 高速船より大型船の方が時化(しけ)に強いと単純に思い込んでいた彼が意外に思って尋ねると、
「高速船は波があってもその上を行けますけどフェリーはそうはいかないですからね。フェリーは海上より港に入れないから欠航するんですよ」
 うねりが大きいと港に着いても護岸に打ちつけられたり逆に押しつけられて出られなくなったりするのだと言う。なるほど、大型船は波を切ることができないし、うねりを受ける面積も広い。ひとつ賢くなったと彼は思った。フェリーの欠航は海上の問題ではない。
 ハリはあの日以来、人前では常にキャップを離さなかったが、スタッフが嫌味なく言う。
「きれいなお嬢さんですねぇ。娘さんと旅行なんて羨ましいですよ。いい旅をしてください」
「ありがとうございます」とふたりは頭を下げた。精悍なスタッフは船内放送をするために室内に入り、ふたりも船室に戻った。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する