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2020年05月27日08:48

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第40話

 しかし大隅海峡が近くなると台風のような風になった。船が出たときの凪いだ海が嘘のように荒れ、船も酷く揺れた。じっと立っていることも難しくなり、予想通り見事に裾野までの全貌を披露した開聞岳を捉えようとする携帯も風に煽られてしまう。彼は何度もシャッターを切りなおした。
 何とか満足のいく1枚が撮れたらもうそれが限界だった。ハリも自分の両腕を抱いている。
「寒過ぎる。中に入ろう」
 けれども。
「あれ? 確かここから出てきたよね」
 船内からデッキに出るときにくぐったはずの、窓ガラスのはまった扉が消えている。確かここから出てきたはずなのだが、そこには分厚い鉄の扉が外側から閉められていて、扉を固定するために周囲に巡らされた金具は機械ででも締めたのか、彼が力を込めてもびくともしなかった。
「やばいよ、これ。閉め出されたかもだ」
 余計に風や揺れが激しくなった気がする。
「まさかこんなに荒れてるときに外に出てるヤツなんかいないって思われた?」
「だろうね。閉める前に放送ぐらい入れてくれよぉ」
           フォト
 海に投げ出される危険は感じなかったが、波しぶきも浴びて身体は冷え切っている。いつも柔らかな表情をしているハリの顔も少し強張っていた。最悪の場合、今はロープで閉鎖されている階段を車両甲板に降りなければならないかもしれない。
 よろけながら左舷に回ってみたが、そこの扉も右舷と同じようにふたりを拒んでいた。船尾にも扉はあったが同じことだ。彼は突発的なできごへの対処が得意な方ではなかったので、もしひとりだったら泡を食っていたかもしれない。けれどもハリがいる。ハリを守らなければならない立場が彼に冷静さをもたらしていた。
「鉄扉は明らかに外から閉められてるから、中に入る扉がどこかにあるはずだよ」
 彼は笑顔を作りながら言い、「上だ」と言った。階段を上ってひとつ上のデッキを探し回ると、ふたりを受け容れてくれる扉がようやく1か所だけ見つかった。下のデッキの扉は風に煽られたり波をかぶったりを避けるために閉鎖されたのだろう。
「はぁ、一時は命の危機だと思ったよ」
 人の気配のない展望ロビーで人心地つき、彼が大袈裟に言う。
「ま、私は全然平気だったけど、娘としては老いた父を守らなきゃだもんね」
 ハリの言葉もおどけていたが、彼はハッとし、心の中で舌打ちをした。
 そうだった! ハリを守らなければなどと思い上がっていたが、考えてみればハリは極めて機能性に優れた移動能力を持っていたのだった。無力なのは自分の方。ハリを守りたいなら「中に入れ」と言うだけでよかったのだ。きっとハリはひとりで中には入らなかったに違いないけれど・・・・。
「ごめん」
「ん? どうしたの?」
「ハリはいつでも中に入れたんだった」
「えーっ! 私そんなこと全然考えなかったよ。そんなのイヤだよぉ」
 ハリは口をとがらせて怒ったように言い、驚くほど悲しそうな顔をする。拗ねてそっぽを向く。そのたおやかな肩を彼が後ろから抱きしめる。ハリが驚いて振り返る。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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