宮城まり子さんが亡くなった。
宮城さんと初めて出会ったのは46年前のこと。
当時ぼくは高校生と大学生との間の春休み。
『ねむの木の歌』の試写会に行ったとき、
ロビーを普通に歩いておられる宮城さんに驚いた。
手帳に鉛筆という失礼な形でサインを所望したんだけど、
快く応じてくださった宮城さんは、
「学生さん?」
と声をかけてくださった。
「はい、〇大です」
まだ入学はしてなかったけど、
大学生になるのがとても嬉しかったぼくが、
初めて大学生だと名乗ったのが宮城さんだった。
「そう。立派ねぇ。しっかり勉強してね」
テレビで見るままの宮城さんに、
ふんわり包みこまれたように感じた。
もう大学生なんて珍しくもなんともない時代になっていたけど、
宮城さんにとっては立派な存在だったのだろう。
ぼくは「伊豆の踊子」の学生さんになったような気分だった。
映画に感動したことも手伝って、
ぼくは宮城さんに憧れた。
ねむの木学園で働きたいと思った。
宮城さんの講演会の追っかけみたいなことをして、
一時は顔くらいは憶えてもらっていたかもしれない。
何度か立ち話をさせてもらった。
ある、小さな会場での講演会のとき、
ひどく酒に酔った男が乱入してきたことがあった。
罵声を浴びせながら演壇に迫っていく。
主催者スタッフがあわてて間に入ろうとしたが、
宮城さんはそれを制して演壇を離れ、
男と向き合った。
男はシャツをまくり上げてお腹の大きな傷を見せながら、
なおも宮城さんに何かをまくし立てた。
宮城さんはしばらく頷きながら男の話を聞き、
それから人差し指を立てて、
どなり続ける男の唇にそっと当てた。
「わかった。あなたはつらかったのね」
そのあとの短い会話は聞こえなかったけど、
それから男は静かに空席に座り、
宮城さんは演壇にもどって何もなかったように講演を再開した。
まるで魔法を見たような気分だった。
とんでもないやさしさを抱えた人だったのだと思う。
その後、ぼくが教員になり、
「障がい児教育」に取り組んだのは、
宮城さんに導かれたからだ。
心からご冥福をお祈りいたします。
あなたのやさしさが消えることはありません。
ありがとうございました。
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