mixiユーザー(id:11464139)

2020年03月23日10:53

16 view

宮城さん・・・・

宮城まり子さんが亡くなった。

宮城さんと初めて出会ったのは46年前のこと。

当時ぼくは高校生と大学生との間の春休み。
『ねむの木の歌』の試写会に行ったとき、
ロビーを普通に歩いておられる宮城さんに驚いた。

手帳に鉛筆という失礼な形でサインを所望したんだけど、
快く応じてくださった宮城さんは、
「学生さん?」
と声をかけてくださった。
「はい、〇大です」

まだ入学はしてなかったけど、
大学生になるのがとても嬉しかったぼくが、
初めて大学生だと名乗ったのが宮城さんだった。

「そう。立派ねぇ。しっかり勉強してね」

テレビで見るままの宮城さんに、
ふんわり包みこまれたように感じた。

もう大学生なんて珍しくもなんともない時代になっていたけど、
宮城さんにとっては立派な存在だったのだろう。
ぼくは「伊豆の踊子」の学生さんになったような気分だった。

映画に感動したことも手伝って、
ぼくは宮城さんに憧れた。
ねむの木学園で働きたいと思った。
宮城さんの講演会の追っかけみたいなことをして、
一時は顔くらいは憶えてもらっていたかもしれない。
何度か立ち話をさせてもらった。

ある、小さな会場での講演会のとき、
ひどく酒に酔った男が乱入してきたことがあった。
罵声を浴びせながら演壇に迫っていく。

主催者スタッフがあわてて間に入ろうとしたが、
宮城さんはそれを制して演壇を離れ、
男と向き合った。

男はシャツをまくり上げてお腹の大きな傷を見せながら、
なおも宮城さんに何かをまくし立てた。

宮城さんはしばらく頷きながら男の話を聞き、
それから人差し指を立てて、
どなり続ける男の唇にそっと当てた。

「わかった。あなたはつらかったのね」

そのあとの短い会話は聞こえなかったけど、
それから男は静かに空席に座り、
宮城さんは演壇にもどって何もなかったように講演を再開した。

まるで魔法を見たような気分だった。


とんでもないやさしさを抱えた人だったのだと思う。

その後、ぼくが教員になり、
「障がい児教育」に取り組んだのは、
宮城さんに導かれたからだ。


心からご冥福をお祈りいたします。
あなたのやさしさが消えることはありません。

ありがとうございました。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する