またか、と思った。
考えられない運転の犠牲になって、
池袋で3歳の女の子とお母さんが亡くなった事件を知ったとき。
プリンちゃんと同じ年回りの女児ということで、
チッペもカッペも涙を流したそうだ。
ぼくも心が締め付けられた。
しかも母子が乗っていた自転車は、
舞浜でプリンちゃんが毎日保育所に通っていたのと同じものだったのだそうだ。
運転者は87歳だったという。
ぼくの25年後だ。
個人差は大きいだろうし一概には言えないけれど、
今でさえ反射神経や視野など、
いろんな部分で肉体的な衰えを感じているのに、
87歳が普通に運転できるのかと思ってしまう。
しかもこの運転者の場合、
運転に不安を感じていたという。
それでも乗らなければならないのか?
乗ってしまうのか?
走る凶器に。
もちろん、「殺す」気などなかったのだろうが、
危険があることを承知しながら運転するというのは、
「殺してしまうかもしれない」、
いわゆる「未必の故意」と言えるのではないか?
高齢者の事故や事件に接する度に、
昔のイメージの高齢者と異なり、
非常に自己中心的になっているように感じられてならない。
ぼくも他人事ではないのだが、
人の命を奪っては年寄りの冷や水で済まされない。
憤りが抑えられない。
ログインしてコメントを確認・投稿する