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2020年01月24日22:47

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2020年初書き込み

2019年に一度書き込みをしようとしたら、まさかの緊急メンテナンスのため書き込みができませんでした。。。

そして年末はバタバタして書き込むことができませんでした。
なので、今回が2020年初になります。

これからは、年末に起きた話を書きまとめてみようかと思いますが、明るい話ではないく、自分の気持ちに整理をつけるために書き留めておくためって感じです。

昨年は、おばあちゃんが危篤状態でいつ亡くなるか緊迫していたけど、年明け後に亡くななった。
おばあちゃんには小さい頃から私たちの面倒を見てくれていて、怒ることもせずいつもにこにこしていて優しくって大好きでした。
家に遊びに行くといつも「お腹すいてない?」とか帰るときにはいつもお土産えを持たせてくれてました。
痴呆症を発症したときは、大変だったけど症状か進行してしまってからは、穏やかになりました。
最初のころは、うちの親も精神的にまいっていたとろこがあり、話を聞いている私も辛かったな。
妄想による人格が変わって攻撃的になるし、物忘れによる確認作業で夜中ももぞもぞ確認しに起きてくる。

施設に入ってからはなかなか会う機会が減ってしまったけど、親族みんなで集まってイベント時に会うことができていた。
それでも今までより会う回数は減ってしまっていた。
おじいちゃんが亡くなってからは、よけいにイベントが減ってしまっていてちょっと寂しい感じもあった。
年末に久しぶりに会ったら話ができなくなり、体も動かない状態になっていった姿を見た時はショックだったな。
それに、自分の意志表示ができなくなり、自分で食事ができななった為、今後の方針をお母さんたちが決めなければいけないのが大変そうだった。
自分たちで親の命の選択をしなければいけないのだ。
事前に多少のことは話をしていたみたいだけど、それでも決めなければいけないのは難しいことだと思った。

自分も今後どうしたいか考えておかなければいけないなと感じた。
残された側の人間にいかに負担をかけないで済むか。正直まったく負荷をかけないで済むことはないとおもう。ただ数年たって思い出したときに選択は間違っていなかったと思える選択をさせてあげればと思う。
最後おばあちゃんは、お母さんたちに看取られながら亡くなった。
おじいちゃんの時は急すぎてお別れの言葉も伝えられずじまいだったので、感謝の気持ちを伝えられたのはよかった。私たち自身の心の整理をする時間がもらえた気がする。

人の死は、人生の勉強をさせてもらえるのだなと感じました。

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