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2021年02月22日19:25

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犯罪者を弁護するのはなぜ?〜被疑者・被告人の弁護権小論〜

凶悪な猟奇殺人犯だろうと巨額贈収賄事件の犯人だろうと何だろうと、刑事事件で起訴された被告人は、専門家である弁護士の弁護を受けることができる。また、起訴される前の捜査段階でも、被疑者には弁護士に依頼する権利が認められている。

しかも、これら被疑者・被告人の弁護権は、憲法上の権利と解されている(憲法34条、37条参照)。

この弁護権は、無実の人を守るために機能することはもちろんだが、犯行を自白し、事実関係に争いが無い真犯人も同じように行使することができる。つまり日本国憲法は、悪いことをしたのが明らかな犯罪者も弁護士による弁護を受ける権利を認めているのである。

凶悪な、ないしは社会的に知られた事件の被告人が、弁護士を通じて事実関係や責任能力を争うことが報じられるたびに、釈然としない思いを持つ人は少なくないと思う。憲法の建前があるとはいえ、無実の人ならまだしも、なぜ、悪事を働いたことが確実な犯罪者をわざわざ弁護する必要があるのだろうか。

一つには、刑事手続きを運用する国家権力との力の格差への配慮があろう。個人としての被疑者・被告人は、組織として法的な権力を行使する警察や検察に比べれば、確かに相対的な立場は弱い。しかし、それだけでは足りない。

例えば企業犯罪や贈収賄事件の被疑者・被告人は、大企業の経営者であったり有力政治家であったりすることも多い。彼らは財力や人脈を用いて警察や検察の権力と互角に対峙することだってできなくもない。にもかかわらず、そんな被疑者・被告人にも隔てなく弁護権を認めるのが憲法の立場である。

とすると、被疑者・被告人の弁護権を等しく認める根拠は、国家権力と個人との社会的な権力関係の強弱もあるが、それよりも、多くの場合刑事手続きに関する習熟度の違いにあると考えた方がよい。

被疑者・被告人が権力者だろうが富豪であろうが、日々刑事手続きを運用している警察・検察に比べれば、刑法や刑訴法の知識および捜査や公判の経験が圧倒的に不足している。自分の言い分を主張するにも、どこが法律上のポイントかを自身で判断することは困難である。

加えて、警察や検察は被疑者・被告人の無知や不慣れに付け込み、違法な捜査、違法な起訴、違法な主張立証を行い、しかもそれが是正されないことが懸念される。例え被告人が真犯人であったとしても、警察や検察が捜査や起訴や公判で違法な行為をしてよいわけがない。

そこで、被疑者・被告人が捜査や公判で適切に自己の言い分を主張できるよう、そして警察や検察による違法な行為を是正できるよう、法律の専門家である弁護士の助力を受けることが必要になるのである。

このような弁護権が憲法によって求められているということは、刑事手続きを成立させる上で、弁護士は必要条件だと言ってよい。巧い例えではないが、野球の試合において、相互のチームにどんなに実力差があろうとも、両チーム9人そろわなければ試合ができないのと同じようなものだと思う。

犯罪者が弁護されることには、確かに納得し難い気持ちになることがある。しかし、被疑者・被告人の弁護権は、人類が長いことかけて刑事手続きを運用し、少しずつその改善を図ってきた産物であることも間違いない。自分の感情も確かに大事だ。だが人類が長年かけて考えてきた現在の制度を、まずは尊重した方がよいのではないかとも思うのである。

ではまた。

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