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2020年06月07日09:34

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『奈落で踊れ』〜果てしなく愉快で、どこまでも苦く〜

『奈落で踊れ』読了。

汚職対応を巡る駆け引きに手に汗握り、国会対応での奔走にサラリーマンの悲哀を見、叶わぬ恋の行方にニヤニヤし、そして明かされる最後の一手に唖然茫然とさせられ、そして現代の財務省や官僚組織にまで連綿と続く闇に慄然とする、異色官僚小説の傑作なんである。

約20年前、大蔵省のいわゆるノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑をモデルにしたこの作品。主人公の香良洲は、30代の一課長補佐に過ぎないが、この接待疑惑と関係者の処分を利用して、均衡財政・緊縮財政に偏る大蔵省の金融財政政策の方針をデフレ脱却の積極財政に変えてやろうと企む。大蔵省始まって以来の変人と言われるにふさわしい、出世思考とはベクトルの違う野心の持ち主である。

香良洲とはまた別の思惑で、この接待疑惑を利用して省内の粛清を図り自派を安泰にし、均衡財政・緊縮財政への道を確かにしようと企むのが、次期次官最有力とされる主計局長の幕辺だ。彼自身むしろ接待を受けた側の中心人物でありながら、省内および政界に盤石の権力基盤を持ち、火の粉がおよぶ気配の欠片もみられない。まさに、清濁併せ呑むワルなのである。

接待疑惑に沸騰する世論に対し、省内の多くの職員が関与するこの問題で、誰をどう処分するか。二人の心理戦を軸に、物語は進む。

大物主計局長に挑む香良洲は、在野の女性ジャーナリストと組み、ヤクザ、政治家、総会屋など、あらゆる手段を総動員して落としどころを見つけようと暗躍する。幕辺は、そんな香良洲の動きを細大漏らさず注視しつつ、彼を最後の最後まで利用し尽くそうと鷹揚に構えて見せる。

その間、大蔵省職員たちは、質問主意書や国会答弁といった各種国会対応に奔走し、政党ヒアリングという名の吊し上げに晒され、総仕上げである国会での集中審議に右往左往する。また、その動きの中で、香良洲の元妻が秘書を務める、大蔵省追及の急先鋒である気鋭の国会議員(モデルは辻元清美氏?)とヤクザの中堅幹部が相思相愛の恋に落ち、そして破局する。

ノーパンすき焼きへの対応という脱力せざるを得ない事情の下、あくまでも真剣に、真面目に、懸命に蠢く人々。そして各人の業が顕現していく様は、本人たちの思惑を通り越してどこまでも滑稽であり、もはやお笑いとしか言いようが無い。果てしなく愉快なのである。

しかし、愉快だけでは終わらない。

国会対応を経て、省内でコンセンサスが取られ、政府与党内でも共有され、大蔵省職員の最終処分案が確定する。幕辺の意向が最大限取り入れられ、香良洲は敗北したかに見えた。しかし、次官および与党幹部の大物議員を動かし、巻き返しを図る香良洲。この辺り、参院選を踏まえた当時の政治情勢や与党内の派閥継承の事情、そして次期政権の人事構想など、フィクションではない情報を散りばめ、現実の政治家の名前を登場させるのが心憎い。

次官や与党幹部の黙認を経て、最後の最後、実に簡単な手口で、香良洲は最終処分案をひっくり返す。公表前の文書の物理的な差し替え。つまり文書改竄。公表された処分が自分の全く見知らぬ内容であること、そして何より自分が処分対象に上がっていることに狼狽し、憤怒し、そして絶望する幕辺。文書の真贋ではなく、公表された内容こそが全てなのだ。

奇しくも近年、いわゆる森友学園問題を通じ、財務省の文書改竄が問題視されたではないか。もちろん作中では触れていないが、現代の読者は否応なしにそれを想起するはずだ。こうして、現代と20年前が、大蔵省の文書改竄という黒い糸でつながるのである。

大蔵省が財務省と名を変えても、数々の不祥事が世を覆っても、僕らはこの20年、そんな世の中を何も変えることはできなかったのではないか。

そう。

奈落で踊っていたのは、香良洲でも幕辺でも無く、我々日本人全てだったのではなかろうか。僕らが喜んで食べていた笑いのキャンディーの中には、実はどこまでも苦い何かが隠されていたのではなかろうか。楽しかった読書の余韻にぞっとしたものが混じるのを、抑えきれないのである。

今回も懲りずに執筆協力をさせていただいたが、本作は、毎回毎回笑わせていただいた。しかし改めて通読すると、月村さんの作品の持つ愉快で苦い蟲毒に、改めて敬服せざるを得ないのである。またこの蟲毒を味わえるよう、無責任かつ楽しみに、次回作を待つこととしたい。

<『奈落で踊れ』朝日新聞出版社サイト>
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=21967
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