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2019年07月20日08:22

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2011年7月21日

ロックを聴き始めた頃、よく読んでいた音楽雑誌はミュージック・ライフだった。
特に中学に入学してからは毎月のように買っていた。
当時は既にミュージック・マガジン(当時はニュー・ミュージック・マガジンだった)もあったし、調べてみるとロッキン・オンも月刊誌ではなかったが、発行はされていた。
他にも音楽雑誌はあったけれど、「写真が多い」という理由でミュージック・ライフを買っていた。

ちなみについ最近知ったのだけれど、「ミュージック・ライフ」は元々はロック音楽専門誌ではなかった。
1937年に「ミユジックライン」という不定期刊行物として創刊。
その後「歌の花籠」「國民の音楽」と誌名をかえ、第二次世界大戦時には休刊、1946年に「ミュージック・ライフ」として復刊、という歴史がある。
つまり元となった雑誌は戦前から存在していたのだ。
残念ながら1998年に休刊になっているが、中学時代には大変にお世話になっている。

高校に入学してからは、特定の音楽雑誌を購読したりはしなかった。
「ヤング・ギター」とか「プレイヤー」とか「ベース・マガジン」といった雑誌をたまに買っていた記憶があるが、この時期は殆ど音楽雑誌は読んではいなかった。

次に音楽雑誌を毎月のように読み始めるのは、レコード店に勤めてから。
「ミュージック・マガジン」を読んでいた。
レコード店店員として商品知識を高める、という目的もあり、なんとなく「ロッキン・オン」や他の雑誌よりも「ミュージック・マガジン」が適しているように思えたのだ。
なにしろ写真が少なかったから。
「ミュージック・ライフ」が写真が多くて買っていたのに、「ミュージック・マガジン」は写真が少なかったので買っていたことになる。

その頃に買った「ミュージック・マガジン」は今でも自宅に残っている。
1983年7月号から1994年1月号まで毎月買っていた。
その後は面白そうな特集の時にたまに買うことはあったけれど、殆ど読まなくなってしまった。

最も印象に残っている号は(印象に残ってしまった、と書くべきか)やはり2011年9月号。
中村とうようの遺稿、というか遺書が掲載された号だ。
既に「ミュージック・マガジン」とは疎遠だったにも関わらず、慌てて買った覚えがある。
中村とうようが自死したのが2011年7月21日。
2011年9月号が発売されたのが、2011年8月20日。
中村とうようは死後に自分の最後の原稿が掲載されるように、計算していたのだと思う。
中村とうようの連載コーナーだった「とうようズトーク」がその遺稿になった。

その遺稿となった「とうようズトーク」の最後の一文にはこう書かれていた。

「という訳なので、読者の皆さん、さようなら。中村とうようというヘンな奴がいたことを、ときどき思い出してください」

中村とうように関しては書きたいことがいっぱいあるのだけれど、書かない。

今はもう音楽雑誌は殆ど読まなくなってしまった。

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